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  映像研究

懐古と懐古ではないなんらかの物や事(名称未設定)

 
・震える日々。震えることに憤る日々。三寒四温という言葉の響きが好きなのは、あくまでも「寒」よりも「温」の方がひとつ多いからなのであって、あぁそのようにして段々と暖かくなっていくのだなぁという希望のようなものがあるからなのだけれども、そこで一転して現在の今のここ最近は「五寒二温」か、あるいは「六寒一温」くらいの陽気がつづいているような気がします。毛は着ない。毛のものはもう一切着たくない。曇っていればフリースはぎりぎりセーフ。可能なかぎり春夏ものでコーディネートしようというショップ店員の「オシャレは我慢」なマインドからもっとなにかを学ぶべきだと思う今日この頃。



・2010年春のKO祭。27日の朝一番に新宿の駅中の書店にて『VOGUE』を探してスポーツのような勢いで積んであるそれを掴んで即レジへ。前に並んだ全然VOGUEぽくない、全然ハイ・ファッションらしくないナイロン・パーカを着た同年代の女性も、全く同じテンションで、そして恐らくは全く同じ理由で、そのハイ・ファションな雑誌を購入しているのだろうと思われて、このように東京では今『VOGUE』が売れている。関係ないけどTAVIちゃんって凄いな。そしてしかし、それよりも何よりも熊の着ぐるみを着た人、小沢健二という人。『VOGUE』の記事を読みながら、この数年の小沢健二という人が書いてきた文章を思い返す。ことと平行して先日実家に帰ったときに押し入れより発掘された『ASTEL presents A radio show named "SATURDAY"」のカセットテープ(52週のうち40週ほどをエア・チェックしていた)をデータ化する作業に取りかかってしまって、今部屋にいる時は大体97年だ。これは決して後ろ向きな意味ではなく。



・空前の90年代ブームの最中にいる今の自分。少し前に古本屋だかユニオンの古書コーナーだかで購入した「丘の上のパンク -時代をエディットする男、藤原ヒロシ半生記」を読んでいると、80年代から90年代にかけての(憧れの)東京のカルチャーが一気に流れ込んでくる。今や大メジャーになったことである種の権威であるような、音楽や、スニーカーや、Tシャツや、あれやこれやが、本当に数人で、小さな空間で、手作業で、作られていたのだということを知ることはちょっと良い。そんなこともあり先日実家に帰ったときに妹の部屋より発掘された「タンカーのリュック(ポーターのもので、MA-1素材の、あれ、ね)」なんてものを何となく持ってきてしまって、さすがに今これを組み込む自分のワードローヴのチャンネルはないなぁと思いながらも、そのチャンネルとやらをちょっと増やしてみるのも面白いかもしれないと思う今日この頃。白いTシャツ、あるいはボーダーカットソーにジーンズ、足下はレッドウィング。そしてタンカーのバッグ。そういう90年代の所謂ひとつの裏原宿ファッション。これは決して後ろ向きな意味ではなく。



・28日はひょんなこと、というかつぶやきですけれども、で知ったネイキッドロフトのイベントで宮沢章夫という人と鈴木理策という写真家がトークをするという情報を得て、面白そうだと思って行ってみた次第。宮沢章夫という人の芝居のイメージを鈴木理策という人が撮影するというつながりなれども、その芝居について話をしたというよりは、それぞれの仕事の接点、あるいは接点ではないかもしれないなりに「土地と土地から生まれる表現」のような話題。宮沢章夫という人の、60年代から90年代までのカルチャー・明治通り南下説(新宿〜原宿〜渋谷)。「東京大学「80年代地下文化論」講義」も記憶に新しく、それともちろんHFの半生はリンクが張られているであろう。そしてしかしそれとは全く違ったものとしての00年代の秋葉原。あるいは「港区(六本木)的なもののカウンターとしてある、秋葉原的なものと高円寺的なもの」という話題も、なるほどと思いながら聞く。