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  映像研究

あとから書く

・14日土曜日は、この数年参加している大学院でお世話になった先生の勉強会の特別編のようなイベント。詳細は記さないでおくが、ゲストには李静和さん、高橋悠治さん。自分には同じ空間で話す様子を見聞きしたい人と思う著名な人リストのようなものがあるが、高橋悠治という人は一番はじめに挙がる。最初に読んだ本は確か『音の静寂 静寂の音』でその文章の運び方と言葉の選び方に惹かれて以来『きっかけの音楽』は2008年に出てすぐ何度か読み返した。そして70年代に書かれた文章を手に入れその仕事の広がりを知り、また水牛楽団についてもリサーチすることから2010年前後の自分の活動を考えていたと書けばほぼファンのような者になってしまうだろうか。イベントには「政治と芸術について」というテーマが設定されていたが、テーマとの関連というよりは、一人の人が長く何事かを実践してきたことを言葉にしていたという印象。それは登壇された3人それぞれの言葉から感じる。ノートにキーワードをメモするだけでなく可能な限り話された言葉をそのまま写し取ろうとする。それは哲学の講義を聞く基本的な態度かもしれない。よくトークイベントの質疑応答的な時間に聴き手が「貴重なお話ありがとうございます」と話し始めるのを聞くたびに「本当にそう思っているのだろうか」「その言葉はあまりにも軽くしかも定型的でむしろ話し手に対して失礼ではないか」と反射的に考えてしまうくらいに自分は大人気ないが、そういう自分が何よりも先ず「貴重な話だ」と思い、それゆえにコミュニケーションなど考える余裕がなかった。2時間半聞きながらノートに書き続けて、しかしせっかくなのでアフターパーティにも参加する。色々な人たちと少しずつ話をして同世代の研究者と呼ばれる人たちがそれぞれのフィールドを持ちその現場を観察することから、少しずつ思考を更新していることが理解され、なおかつそうした研究・思考はつねに労働・業務とのせめぎ合いであろうことが想像され、反省というには強過ぎるが自分の日々を省みざるを得ない。そしてこういう時間もまた何よりも貴重であると思う。

 

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