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  映像研究

通過点を過ぎて食卓の脇に積まれた本を一度片付けるような月曜日

 
・日記。土曜日に大学の修士論文の途中経過を報告する発表会があり、それを夏までの通過点と考えていたのだから、その発表が無事に終わって一段落している今。しかし何とかやり過ごしたにしても今回ばかりは反省することこの上なし。これまで何度も「ぎりぎり追いつめられないとできないんだよね」とか言っていたけれども、今回に限っては「ぎりぎり追いつめられてもできないことはできない」あるいは「集中できなければ終わらないことは終わらない」ということがわかった。反省を文章にすることは難しい。反省は反省としつつ次の場面に活かすしかない。


・反省はそれはそれとして日付が変わり、週が変わり、月が変わったならば、同時に別のことも考えるだろう。別のことというのは例えば「Tシャツの季節になったならばTシャツをデザインしてプリントをする」ことでもあるし、色々な人と会って近況報告をしたり、何かの意見を交換することであるかもしれない。山に行くことと、そのことについて相談することかもしれない。そしてそうすることで、例えば自分が文章として考えているようなことも、また違う力を得ることがあるかもしれない。


・新しい生活がはじまって3ヶ月と半分くらいが過ぎて、いつの間にか自分の見ている風景が今の場所に馴染んでいる。高尾に住んでいたことを思い出さなくなった。中央線に乗る時に「高尾行き」という表示を見ると、ああ、山がある、あの場所のことだな、と思う。知っているけれども、知らない場所だ、と思う。


・新しい生活は以前の生活と比較したならば、地面と地続き?でない(平屋ではない)けれども、しかし土に触れることは圧倒的に多い。毎日自転車に乗る前に庭の端の家庭菜園部分に目をやって「育ってるな」とか「虫に食べられちゃってるな」とか思ったりする。そして冷蔵庫の中に物が増えた。家の中に「ストックしてある食べ物」という物が存在している。生活の中に「ストック」という概念がある。宵越しの何かがある。そして誰とも話をしない一日ということがなくなった。そういう変化が自分の何にどう影響しているのか、時々、ふと、完全に偶然にふと、考えたりしないこともない。たぶんあっという間に夏になる。