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  映像研究

色々な物が壊れる・新しい方角・流行語など

 
・「ナイフみたいに尖っては/触る物皆傷つけた」という有名な言葉があるように、人は物を壊すようなときには物を壊している。無意識に物を壊してしまう。そのことに無理矢理に意味を見つけるということではないにしても、その壊れることに、壊してしまうことに、今までとは違った想いを持つ今日この頃。それは全く抽象的な心理的な精神的な事柄ではなく具体的な物体として土鍋の蓋であり、洗濯干し器具であり、ノートパソコンである。あるいは靴下が擦り切れる。セーターには穴があく。直せる物は直すけれども直せない物は捨てるだろう。これはもしかして断捨離という話をしているのかもしれない。


・新しい方角を向いている。南の方を向いている。南の方が良いでしょう。今住んでいる場所から見て南方。正確には南東。そういえば荻窪から高尾に引っ越してきて4年半になる。高尾山の麓に、高尾山の裾野に住んでいるという意識を持っている。そのことで言葉にし難いようなしかし何か大きな感覚を得てきたように思うこの4年半。これはもしかしてパワースポットという話をしていない。新しい方角には何があるか全く分からない。わからないからこそ新しい方角を向く。


政権政党が移り変わり総理大臣が移り変わりそしてそのことによって景気という何かが以前よりも良くなるという言葉がどこかから湧いてきてそのことを本当のこととして感じさせるような流行語がウィルスのようにばらまかれるだろう。その言葉をフレッシュな、おしゃれな、新しい生活のイメージを持った言葉として感じながら、人は何か物を買うのか。家や車を買うのか。家族計画を考えるのか。オリンピックをやりたいと思うのか。わからない。わからないからこそ警戒する。


・落ちついて、足下に気をつけて(watch your step.)、呼吸を整えて、姿勢を正して、自分の視野があくまでも限定された範囲であることを意識して、持ち物を確認して、大切な人に連絡を取って。「有事」である感覚を忘れてしまった時だからこそ、自分のからだが動いている範囲を知る。範囲がわからなくなっているような時に人は何かにぶつかる。何かにぶつかるとその物は壊れるかもしれない。


・休日に2人の優秀な後輩とお茶していて、そこで「何かを作ること」について話をする。それは例えば、衣料品であり、家具であり、バッチだった。身の回りの物を自分で作ることについて考えることは楽しい。そしてそれを楽しいと思う人と話をすることも楽しい。それは例えば、漬け物であり、甘酒であり、野菜だった。食べる物を作ることから発想される新しい生活のイメージがある。「何かを作ること」、それは例えば、メディアでもあるのか。新しい暮らし方にときめくこと。新しい暮らし方を本当にただ生きることと。新しい暮らし方を誰か他の人に伝えることについて。例えばソローの『森の生活』という文章に対して、岡田利規という人の『ZERO COST HOUSE』という舞台作品は何を返答していたか。その舞台作品は観ることができなかったからわからない。わからないなりに想像することから、また別の自分のあり方を構想する。