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  映像研究

つづき(長い)

 
・「つづきはつづきをつづけていく」(引用ここまで)


・また別の、また同じ、そしてまた新しい出来事になる。秋になる。気温が下がる。服は重ね着。夕暮れは早い。通っている大学の放課後の暗くなった風景を初めて見た。暗くなった放課後の学校は何かを思い出すきっかけになるかもしれない。一日は終わろうとする時間だけれども、そのような時に、何か新しいことが始まるかもしれない。……かもしれない。TOKYO NO.1 SOUL SETかもしれない。


・先週の日曜日には群馬県沼田市玉原高原という場所で開催されたフェスティヴァル、ではなくてアウトドア・イベントのスタッフというかお手伝いというかそんなような人として出かけてきた。紅葉が「今まさに進行中」といった感じでドリーミーな晴れの日。


・「並行して色々なことが進行している」と思った。「時間が足りない」と言う人の気持ちが珍しく少しわかるかもしれない。時間はすべての人にとって平等にあるのだけれども、労働はすべての人に平等にあるのではないのだった。考えていることや実行していることを統合?総合?していくことは面白いし驚きもある。「ああ、これとこれがこのようにして繋がるのだなぁ!」という段階もある。すべての喜びの源泉のようなもの。


・youのtubeで昔の映像を見ていて(大体昔の映像を見るだろう)1996年に小沢健二という人がフジテレビの深夜番組『TK MUSIC CLAMP』に出演していた映像を見つけた。SMAPの人と話をしているその様子を懐かしく見つつ(VHSが家のどこかにある)、そこで話されていることをまるで今の自分のこととして聞くだろう。高校生くらいの頃にこういう話を聞いて「ああ、何かここでは大切なことを話しているな」と雰囲気だけ感じ取って(こういう話をすることを「おしゃれだなぁ」と思って)それで今聞き直してやっぱりぐっときたりする、その時間も良い。「新鮮さ」や「輝き」について思い出すだろう。傷のように刻まれた「新鮮さ」や「輝き」という言葉と、その言葉を発するニュアンスが、自分の中で動き出すだろう。そういう気持ちがある。


・「新鮮さ」や「輝き」について、最近周りの人と話をしているのかもしれない。もしも生活すること自体の余裕が乏しくなってくれば「新鮮さ」や「輝き」に関係したものの方から失われていくような感じがあって、しかしそこで、その、失われていくことに危険を感じたならば、むしろ「新鮮さ」や「輝き」を手放さないための思考が、むしろ以前より活発に働き始めるのかもしれない。……かもしれない。


・失われていきそうなものに対して抵抗するために思考が働く。哲学のようなことも発生するのかもしれない。手の中にあったものは次々に奪われていくだろう。「奪われたくないのだったら、その理由を言いたまえ」。理由を言わなくてはその「何か」は奪われていくかもしれない。「まず、私は、これこれこういう理由で、ここにいます。」と話し始めるだろう。<自己>に<言及>しなければ「何か」は「何もかも」は、奪われてしまうかもしれない。


・「理由を言わなければ奪われてしまう」ことが本当はおかしいのだけれども、そのことを「おかしい」というためにも、差し当たって、奪われないために、理由を言わなくてはいけない。「それ、おかしくないでs…」と抗議をしようとする間にも「何か」は奪われ続けるのかもしれない。


・だから大急ぎで、しかしきちんと練られた、切れの良い、力のある、そしてなるべくなら耐久性のある、理由を、言葉を、話したいと、作りたいと、思った。(つづく)