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  映像研究

日々

 
・『GINZA』を買う。『POPEYE』のリニューアル以降、背表紙がカクっとした四角い雑誌ばかりが(GINZAも含めて)本屋に目立つ中で、付録でついてくる『olive』の佇まいの微妙な違和感が素敵だ。それを手に取ってぱらぱらと捲ったならば小沢健二の「ドゥーワチャライク」も15年ぶり以上の時を経て新鮮に感じられる。アップデートされている。あるいは何も変わっていないし同時にすべてが変化している。「一周した」ような感じも思う。去年一年しっとりと感じ続けていたような「90年代ブーム」が分水嶺を超える。あるいはバサロスタートの時期を経てスパートをかけるのか。小銭を持った30代は当時買えなかった蛍光色のスニーカーを狂ったように買い漁るのか。そんなはずはないのか。モードやトレンドというようなことを考えたり感じたりすることは面白い。面白いけれども。


・もうしばらくそのようなこととして記してきたけれども「面白い」「楽しい」ことはどうなのか。あるいはかつて感じていたような「新しい」ことの良さとはなんなのか。その「面白い」や「楽しい」そして「新しい」、つまり「軽さ」のようなことから少しずつ離れて、別の言葉を使って考えるようになっているかもしれない。そしてそのこともモードやトレンドというようなことと関係がありつつ、個人としての自分の変化ということもあるのだから、それはその変化を受け入れる/その変化とともに有るより仕方ないと思うのだけれども、一方でそうした「軽さ」から離れていくような方向が、また別の感じ、例えば「意味や機能に結びつきそうもない物や事がアウトプットしづらい」感じと関係があるように思えるのならば、その感じを気に留めておきたい。何事かについての「真剣さ」と「意味や機能」を切り離すことを想像すること。あるいは何事かについての「真剣さ」を名指さず、誉め称えずとも、静かに持続させるための原理を想定すること。