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  映像研究

言葉を忘れたまま

 
・何かと何かの隙間に落ち込むような言葉のあり方を忘れたまま、出来事は進む。そういう言葉の存在が必要だと思えないような時にも、何かは話す。断片的な、行き先を持たない、言葉。本来ならば折衷できないものやこと…、と考えて、その「本来」にとらわれないようにするためには、どういう考えを持っていると良いか。言葉は自然に問いになる。行き先を持たない、問い。言葉を辿り、考えをなぞり、繰り返すことで、いくつかの流れのようなものが感じられる。似た流れ。揃いきらない流れ。色々な流れ。繋がっている流れ。本を読むことが良いと思うのは、本を読んでいて何か疑問に思っても、誰も、何も、答えてくれないことだ。解説を読んだり、著者の言葉を聞いたりすることは、また別のことだ。そこには言葉が並んでいる。誰もが知っている「言葉」が並んでいるだけだ。それを読み、何度も読み、読み返し、時には調べて、また読む。読むことをやめる。読むことをやめる時に、考えることをはじめることもある。何度も読み返す文章は、自分にとって特別な意味を持つ。その内容とは別に、繰り返されることで、はじめて生まれる意味がある。繰り返されることで、はじめて生まれる時間のようなものがあるかもしれない。言葉を読むことについてだった。そのことにどういう意味があるのか。神秘的なこと。面白いこと。「『モノローグ』と『対話』を絶対的に対立しているものと考えないこと」と記してみて、記してみることから、仮説から、その理由を考える。その理由がイメージできたときに、いま考えている色々な事柄が、多くの事柄が、色々な層に散らばった事柄が、それぞれ、少しずつ、展開するかもしれない。生活しながら、言葉を書いて、待つ。発見することが出来るように、見ることを続けて、見ることの強度を高める。言葉について、言葉を書き、言葉を話すことについてだった。言葉に飽きてしまわないように。聞くことがある。沈黙がある。そういえばBGMがない場所の新鮮さを思い出した先週末だった。耳を澄ませることに気がつく。