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  映像研究

抽象と映像の夏、2012年の8月・その13

 







・思い出すこと。季節について。具体的には夏について。あるいは映像について考える。映像について思い出す。例えば映画館で映画を観ることについて。映画館で映画を観ることが好きだ。映画館で観ると映画は大抵面白いと思うのだから映画館の持っている力はとてつもないと思う。映画館で映画を観る感じと図書館で本を探したり読んだりする感じは似ている。夏を連想させる意味において似ている。エアー・コンディショナーについては複雑な思いもあるけれども、あのような施設のエアー・コンディショナー(冷房)の質感を好ましいと思う。


・例えば1998年に三百人劇場という映画館で上映されたゴダールの『リア王』(『ゴダールリア王』)という映画を観に行ったあれは10代後半の夏休みだった。よく意味がわからない映画だったけれども、その「よく意味がわからない」という意味において、あるいは「よく意味がわからない」なりに、そこに自分が考えたい事柄のきっかけがあるように感じたという意味において、それからしばらく自分にとって一番好きな映画になった。そういう映画と映画館で出会うのは、それが夏だからなのだと思う。


・その前の年の1997年の夏には新宿のテアトル新宿で『20世紀ノスタルジア』を観た。完全に広末涼子を見たかったから観に行ったのだったけれども、その映画から確か何事かを考えたのだと思う。そして『ゴダールリア王』を観たときに最初に思ったことは『20世紀ノスタルジア』のことだった。何かが似ていると思った。同じことを考えたかもしれない。言葉にすることのためらいについて。気持ちを言葉にすることを拒むことについて。「NO THING」を保持することについて。そしてだからこそ映像を撮影し、編集することについて。お芝居を作ることとは別の目的でカメラを使うことについての映画について考えた。


・その前の年の夏には渋谷のパルコの上の映画館で『ユーリ』という映画を観た(レイトショー)。サウンドトラックが好きだから観に行ったけれども映画の内容はほとんど覚えていない。1999年の夏には大井町の大井武蔵野館という映画館で「1999年になったから」という理由で再上映された『1999年の夏休み』という映画も観た(多分レイトショー)。モーマスという人の同名の曲が好きだから観に行ったけれども映画の内容は全く覚えていない。あまりにも記憶が朧げなので調べてみたところ(インターネットの便利さ)やはり『夢野久作の少女地獄』を同時上映で観たのだけれども、それが本当に謎だ。


・似ている映画もあれば、特に似ていない映画もある。でも二本立てっていうちょっと雑な感じも夏っぽくて良い。数本まとめて思い出す。