&

  映像研究

抽象と映像の夏、2012年の8月・その14

 



・映像を見つけることもある。例えばyoutubeのリンクを辿っていると自分の知らない、しかし自分が好ましく思うような映像と出会うことがある。数日前に「oval」というミュージシャンについて検索していて、恐らくは「スリル・ジョッキー」というレーベル(?)の関連動画的なものとして現れた映像を見る。山の中を歩くようなシーンのある映像だった。


・はっきりとした展開のない楽曲の存在と、山の中を歩くことは似ている。またそれらのことと、古い写真を見つめることも少し似ているかもしれない。または水が流れる様子をずっと見続けるようなことは、また別の事柄ではあるけれども、少なくともはっきりとした展開のない楽曲の存在を邪魔することないだろうと思う。


・「似ている」ということで、全く違う何かと何かが有機的に結ばれることについて。ある音楽がある色に似ているとか、ある味があるテキスタイルに似ているということは、とても日常的で楽しいことであると同時に、全く個人が介入できない神秘的なことでもあるように思う。そのようにして「似ているもの」を見つけて、それをうたを詠みあうように、交互に伝え合うことはもっと楽しい。楽しいでは物足りなく、神秘的では仰々しいと思うから、人はそれを「おしゃれ」と言う。


・日々業務の往復の電車の中でほとんどが睡眠であるけれども、その睡眠の間に(そして結果的に睡眠を誘発するものとして)『千のプラトー』という本を少しずつ読んでいる。今は「リトルネロについて」という箇所を読んでいて、リトルネロというのがなんなのか。何が書いてあるのか。日本語なのに「何が書いてあるのかわからない」という体験をすることも貴重だ。何事かを考えるきっかけが書かれているように思うのだから読んでいる。夏の自由な研究。八王子のファミレス的カフェにて自由な研究をするアフター業務。