&

  映像研究

抽象と映像の夏、2012年の8月・その12

 





・日々生活している中で、物体…とか、現象…とか考えていたら「Ralph Steiner」という人の映像をyoutubeにて見つける。全然知らない人の、全然知らない映像だった。物体や現象や、運動や何かが映されている映像があった。そしてそれが1930年とかの映像であるという驚き。例えば2012年を生きる自分が「物体…」とか思うのは、それはある種の「物語」や「わかりやすさ」や「精神(と肉体を分ける考え)」や「消費」や「労働」や他の色々な何かに対する抵抗という気持ちが、うっすらとあったりするけれども、これらの映像にはそのような感覚や、考えや何かがあったりするのかどうなのか。わからない。わからないことが面白い。わからないことが驚きでもある。


・12日の日曜日は久しぶりの休日でもあったのだから、思い立って六本木方面へ行く。国立新美術館にて『「具体」−ニッポンの前衛 18年の軌跡』と『与えられた形象―辰野登恵子/柴田敏雄』という展示を鑑賞する。柴田敏雄という人の写真が、ダム、とか、橋、とか、人工的なランドスケープモノクロームで撮影していて、それが面白かった。具体的に映すことによって、何かわからないような気持ちになる。具体的であることと明快であることは別のことなのだと思う。


・それでせっかくだから国立新美術館ワタリウム美術館の企画展も鑑賞。と同時に各種ミュージアムショップや道中のインテリア屋さん(シボネとか)で色々な生活用品を見ることが楽しい。偶然入ったミナ・ペルホネンのファブリックの感じから何か「秋」のような気持ちを受けとる。そしてそれらの生活用品を見ることから、生活用品を買いたいということよりも、生活用品を作りたいという気持ちを受けとる。生活用品が発するメタ・メッセージとしての「物を作りなさい」という声に耳を澄ませる。聴き間違いの。あるいは幻聴の。または空耳のようなメッセージを携えて、季節は秋に向かう。


・お盆真ただ中の都心は新しい場所のよう。