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  映像研究

夜の学校

 
・朝起きてややあって映画鑑賞。ニコラ・フィリベールすべての些細な事柄』を観る。ずっと観たかった映画だったがようやく観ることが出来た。人と人とが話をしている様子がたくさん写された映像。必要であれば同じやり取りが何度か繰り返される様子が映された映像。夕立のシーンも良かった。可能ならば映画館で観たかったと思う。そしてややあって三鷹台へ。SMDくんと部長と3人でMMのMTG。あらためて去年のフェスティヴァルから一年が経ったのだと実感する。去年のフェスティヴァルに遊びに来た色々な人の現在を想像しつつ、しかし本日はフェスティヴァルの目下のインフラストラクチャーを作り出すものとしての「日本円」についての相談など。日本円関係の相談はなかなか大変だ。MTG終了後部長の愛車(カモメ号)で高尾まで輸送してもらいつつ、今月の私達それぞれに残された時間についても話す。時間はない。けれども「時間がない」とは言いたくない。時間はいつも/いつだって確かにあるようなないような種類の何かだ。そしてその時間に色々な人が色々な活動をするだろう。帰宅してインターネットによる各種リサーチなどしつつ、ジュンク堂ポッドキャスト平倉圭という人が『ゴダール的方法』という書籍を出版した時のトーク・イベントを聞く。そういえばこのイベントの後に催されていた青山ブックセンター青山店の方のトーク・イベントを自分は聞きに行ったのだった。そしてドゥルーズという人について調べてみようかと思っている今ならば、このようなトークを聞くとまたそこから色々なことを考えることが出来る。更にそのトーク・イベントの登壇者であるところの國分功一郎という人のウェブでの連載『暇と退屈の倫理学』を一気読みしたり、あるいはまた千葉雅也という人が『思想地図β』に書いていた「インフラクティーク序説ードゥルーズ『意味の論理学』からポスト人文学へ」という、きっとわかりやすく書いているのだろうけれども、自分にとっては非常に読み進めるのが難しいような文章を読んでみたりした。今日の夜の時間。今日と明日のあいだの夜の時間。あるいは夜の学校。テキストらしい文章を読んでみたならば、そこから考えたことや、そこに書いてあったことをノートする時間と場所。