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  映像研究

心を動かす

・あとから書いておく記録。朝ふと思い立って円形の「一日のスケジュール」を作成してみる。「A:月・火・水・土」はまったく無理なく8時間の作業ができる。「B:木・金」」は3時間の作業と6時間の労働にプラス2時間の移動。「C:日」は11時間の労働にプラス2時間の移動。これをそのまま実行できれば、一週間で40時間の作業(オンラインでの勉強会と大学の演習も含む)と、23時間の労働(自宅で準備などもいくらか発生する)ということになる。7・8月は季節労働によりこのサイクルが崩れるがトータルでは同程度には時間が確保できる。時は有限。そう思って2021年の後半を進めたい。

 

・と言いながらも停滞している作業の傍らで連続ドラマを一気見する日(二日目)。月曜日の『逃げるは恥だが役に立つ』に続いてAmazonプライムで『カルテット』を観ることができた。TBSとAmazonに感謝。全10話を見る。このようなドラマが2017年に放送されていてしかも全く観ていなかったことを反省する。もしも自分が今(あるいは2017年の段階で)高校生くらいだったらこのドラマを観て、将来はドラマか映画を作りたい、と思うのではないか。連続ドラマは、現実の季節とともに、人が生きる中での「ある季節」を切り取り描き出す不思議な媒体だとあらためて思う。しかし冬の軽井沢の暖炉の前で過ごす様々な時間を一日に圧縮して鑑賞するのはなかなかヘビーだった。一気見の限界。

 

・ドラマを見ることは、黙読とひとりごとと家族の会話が繰り返される日々の中で、半ば強制的に心を動かす、ストレッチのようなものであるかもしれない。

 

・ノートPCで少し飛ばしたりもしつつ気になった箇所は巻き戻して鑑賞することも映像の体験として固有の意味がある。それは本を読むことに似ている、似ているというか、同じ受容の仕方を(映像/文字の違いはあるものの)しているのかもしれなかった。本を、文字を読むことから少し逃れて、映像を本当は「浴びるように」観ることが望ましいが、それはやはり映画館という場所に求めるべきか。こうした口実をもってちょっと良いプロジェクターなどを購入して自宅で再現すべきか。そもそも風景を、何かを見るべきか。写真を見るべきか。

 

・さつまいもとれんこんと鶏肉の甘酢炒め、などをつくる。ビールを一杯だけ。23時過ぎに就寝。