&

  映像研究

言葉を書くことについて思うこと

 
・文章を書くことが、いつでも、どこでも、自由であることを確認するような行為でありますように。そのような願いを、いつでも、どこでも、そっと思っている。そっと思っていれば、大抵の難しいことも大丈夫だと思っている。文章を書くことが、わからなかったことをわかるようにすることとは別に、わかっていたような気持ちでいたことを、またわからないこととして考え直してみるようなことでもありますように。文章を書くことが、複雑なことを単純にしていくこととは別に、単純なことの複雑さを考えてみることでもありますように。


・言葉を組み合わせることの面白さを考える。言葉を繋ぎ合わせてグルーヴが生まれることや、言葉を繰り返すことでリズムが生まれるようなことが面白い。文章があるトーンのような印象を与えることも面白い。テクニックについて学ぶことよりも、自分が書いた文章を読み返してみることで、自分自身が何かをわかっていくようなことが面白い。概念ではないようなことから、概念のようなものが生まれてくるようなことも面白い。


・そしてまた写真について、そして「見ること」について思う。2012年の今、自分にとって不思議なことは、自分の考えから具体的な事柄が流れ去っていってしまったように思うことだ。具体的なことは物体。具体的なことは風景。部屋の壁には「石を写した写真」が額に入っている。それは確か3年前の春に山菜狩りに行ったときに撮影した写真で、その写真がある時ふと面白いような気がしてきたのだから、その写真を飾っている。その写真を見ることで、あるいはその写真が何となく目に入ってくることで、その写真を撮ったときのことを思い出すだろう。そしてその写真を撮った時の気持ちとか、感じを思い出すのだと思う。


・「ちょっと慌ただしいので一息ついたら何か面白いことを考えよう」と思っているのもどうなのか。しかしそのような心持ちがまた、あえて言うならば新しい。だから新しい状態では、新しいやり方を考えようと思う。少しだけ道徳的なことや、少しだけシリアスなことも考えているけれども、まだそれを言葉にすることができない。


・言葉を組み合わせることが、何かを見ることが、歌を歌うことが、山を歩くことが、食べ物や着るものを自分で作ることが、楽しいのは、それがお金を使うこととは別の楽しみだからだ。お金を使わないことの自由さを、こっちの方が面白いよということを、今どうやって思い出すことができるか。楽しみをどこに作り出すことができるか。そして何かを検証するような言葉や状況をどう作れるか。課題がある。