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  映像研究

抽象と映像の夏、2012年の8月・その11

 



・「ecocolo」のTINY HOMEの特集を読んでしまったからなのかどうなのか。山小屋のような建物の存在に想いを馳せる今日この頃。土と木と草花とともに立ち上がるような建物について考えている。そして建物の存在について考えることは、そのまま今の自分の住宅について考えることにもなる。今、自分が、高尾山の裾野に建っている住宅に住んでいることについて…


・物についても考えている。物を見ることは楽しい。物を見ることは楽しいから全く購入するつもりがないのにも関わらず業務終了後にデパートで衣料品や食器とかを見たりする。その物が置かれるような状況について想像してみる…


・新しく物を購入することとは一体どういうことなのか。すべての生活に必要なものを自分で作ることはできないのだから(できないのだろうか?)ある程度の物は購入しなければいけない、というときの「ある程度」は「どの程度」なのだろう?と考える。


・普通に(普通ってなんだ)暮らすことの中にある実験性?実験性を必要とするのかどうなのか。実験が目的であるというのはただの思いつきで、本当はより良い暮らしを構想するために色々なことを試してみる、そのプロセスが結果的に実験的になる、ということなのかどうなのか。(あまりにも当たり前の事実として)人生は限られているから実験している間に終わるのだろう。それがプロセスということなのかどうなのか。