&

  映像研究

山菜の話から木の話

 
・庭に植わっている「たらの木」の芽が出てきて、芽がどんどん伸びてきて、既に葉になった。先週末に慌てて、その、まだ芽と呼べるような部分をひとつだけもぎ取って、天ぷらにして食べた。家に遊びにきた人とともに色々な春の野菜の天ぷらを食べた。たらの芽、うど、タケノコ。ほろ苦くて美味しかった。そして庭に植わっている「たらの木」の芽をもぎ取った部分からは、透明なゼリーのような何かが出てきていて、ちょっと痛々しいというか、申し訳ないような気持ちになったけれども、しかしそんなことをこちらが(人サイドが)思っているような時にも、たらの木はぐんぐん伸びている。背を伸ばしていく。忍者の修行としてはかなり効率が良さそうなくらいに(刺が多いから当たらないように頑張ってジャンプするだろうから)どんどん伸びている。更に伸びていくだろう。



・そして去年の今頃にはまるで「山菜を食べる」という発想が無かった。2009年、2010年と続けて行った山菜狩りから自分は沢山のことを学んだ。植物がそれぞれどんな場所を好んで生えるかとか、そういう場所に行って何かを探しながら歩くことの面白さとか、季節と時間の感じとか。そして本当であればもちろん去年、2011年にもどこか近くの野山で山菜を取りに行きたかったのだけれども、去年はまるでそんな風ではなかった。野山に生えている山菜を食べることは、何か得体の知れない毒を食べているのではないか、という想像に直結してしまうので、普通に山菜狩りには行かなかった。そしてその「何か得体の知れない毒を食べているのではないか」という感覚は今も同じように(少しだけ薄れながらも/しかしむしろ確かなこととして)そうなのだ。だけれども今年は庭に植わっている「たらの木」の、この木の芽は、ひとつだけ食べてみようと思った。



・「庭に木を植える」ということにはどういう意味があるのだろうかと考える。あるいはまた「記念樹」とか言って、何かのおりに或る場所に木を植えるということには、どういう気持ちが込められているのだろうか。そういえば小学生の頃に国語の教科書で読んだりしたのはどういう話だったか。「戦争で帰ってこなかった子どもと、お母さんと、木」のような話があった。悲しい話だったような記憶があるけれども、やはりそこには庭の木があった。あるいはまた昨日の授業(自分が受けた方)で1990年代の中国の地方のドキュメンタリーを観たけれども、そこでも「自分の土地」に思い入れを持った人と、そこに植えた木のエピソードがあった。



・人は木を植える。この間の熊本旅行の夜(大人の修学旅行の夜)酔っぱらいつつ真面目な話をしていた時に、ふと思い出して、全然関係ないかもと思いつつ話したのは「自分は『取り返しのつかないこと』ということが子どもの頃本当に恐かったけれども、きっと人が生きていくことは取り返しのつかないことばかりだと思うから、そしてそれは必ずしもそれは恐ろしいことではないとも思うから、少しでもその『取り返しのつかないこと』に慣れていかなくてはいけない、という意識から、差し当たってできることとして、頑張って『全然貼りたくないシールを持ち物に貼る』ということをしていた」という話で、自分にとっては、シールの次に何ができるかというと、差し当たってできることとして、木を植えた。人生のレッスンとしての「植木」について。



・それで植えたからには木は育つ。毎日その育っている様子を見て、何か少し嬉しいように思うけれども、超嬉しいかというと、別にそういう感じでもない。「伸びてるなぁ」と思う。それで冬になると葉を落として静かになって、また春になると芽が出る。「がんばれー」と思ったり「美味そうだな」と思ったりしつつ見守る。だからその木に放射性物質が降ったり、根から放射性物質を吸収しているとしても(本当のところはわからない)、だからといって食べないわけにもいかなかったのだ。ひとつだけ食べてみようと思った。それはあくまでも自分と、自分が住んでいる場所と、自分が植えた木との関係で、出来事で、それは何かの事例として、他の出来事とは交換できない、ただひとつの出来事としての「山菜を食べること」だ。そしてそれは実践であると同時に、レッスンでもある。