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  映像研究

伸びた。

 







・植物は伸びる。背が高くなる。みるみるうちに育つ。インテリアであれエクステリアであれ、まぁそこらへんの程よい大きさで、よろしく、とか思っている人間の考えを完全に無視してむちゃくちゃに伸びる。気がついたら自分のからだよりも大きくなってしまった。これは「たらの木」で、春になったらたらの芽が採れるかもしれない、とか思っていたのだけれども、全然手が届かないくらいの背丈になってしまった。ご近所からも相当に目立つようになってしまった。まるで木になってしまった。そういう植物の成長する勢い、のようもの、ものではなく、あるいは力、そういう目に見えない力のような何かが、自分のすぐ傍にあるということを考える。そのことによって、何か安心するような気持ちになる。人間の考えを完全に無視して伸びる力を持った存在のことを思うと、それは恐ろしくもあるけれども、安心するようでもある。もしも例えば大家さんから「ちょっとこの木は…」と言われたら(たぶん言われないと思うけれども)この木を切ることになるかもしれない。私はこの木を切ることが出来る。だけど「私がこの木を切ることが出来る」ことは「私はこの木よりも大きな力を持っている」ことを意味しない。それは全く当たり前のことだと思う。私はこの木の大きな力を知っている。あえて言うならば、この木の「強さ」を知っている。幹を手で握ることすら出来ないのだ(細く鋭い細かな刺が沢山生えているから)。夜布団に入ってふと「ああ、この時間にも大きな力を持ったあの木は庭に生えているのだなぁ」と思わないこともない(大抵は寝付きが良いからそんなことは考えない)。


・うちの庭の、このたらの木も、いつか見た山の中に立つ、あの大きな木も、今日見たはずだけれども覚えていない、その無数の街路樹も、同じように(そしてひとつずつ違った)大きな力を持って、生えて、立って、存在している。人間の考えを完全に無視して。