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  映像研究

2011年6月が終わる

 
・2011年6月30日は、晴れ、雷雨、晴れ、再び曇り。アイス・コーヒー用ではない珈琲豆で無理矢理アイス・コーヒーをつくる。それを飲みながら、昨日までの旅行のことを思い出しながら、掃除。洗濯。備忘録。何か。本屋に行く。夕方から隙だらけの恰好でザバっと風呂に行った。そのまま山の麓に帰ってきた。



・庭部分に植わったストレリチア、縁側部分に置かれたプランター朝顔は、どんどん育ってゆく。葉っぱが開いたり、蔓が伸びたりする。夏。車で出かけて、荷物をまとめたり、一緒に行く人とスケジュールを相談したりすることから、山に登る感覚を少しだけ思い出した。7月は何らかの山的なものに(弱気)登りたいと思う。それは自分にとって「あるコンディション」をつくるのだろうし、庭部分の植物を定点観測することも面白いけれども、山の山らしい植物を見たり見なかったりしながら歩きながら通り過ぎて立ち止まって振り返って一瞬木の表面を観察したりすることも、それと似ているようで、また違った面白さがある。頂上に登って何か食べたりすることも良い。



・旅行のあいだラジオの話をしていて(最近「ラジオの話」をすることが多い/そして誰もが誰かある程度「TBSラジオ」は聴いている)菊地成孔の番組が、やっぱり、それでも、ゼロ年代は終わっても、色々あろうとも、面白い、という話をしていたので、そして自分はその番組をまったく聴いていなかったので、podcastで聴ける箇所を部分的に聴いてみた。面白かった。また菊地成孔のウェブ・サイトがリニューアルしていて、その一番新しい日記を読んで「大変だなぁ」と思いつつも、音楽の大切さについても思う。そのような6月の終わり。