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  映像研究

忍者としての見ること

 
・日々の記録は例えば9月9日の金曜日。晴れた朝が驚くほどに涼しかったりする今日この頃。湿度が急速に下がったならば風景が完全に変化する今日この頃。庭部分に植えられた(植えた)たらの木を見る。あるいは写真に撮る。約1年半前に山菜狩りに行ったときに、まったくそんなつもりはなかったにも関わらず、本当に不本意ながら引き抜いてしまったようなかたちになった、およそ10cmのたらの木。不本意ながらそのままビニール袋に入れて高尾にやってきたたらの木。そうして試しに庭部分に植えられたたらの木。約10cmだったたらの木は、今では約150cmになった。ちょっと触れられないくらい刺だらけなのはそれがたらの木である印のようなものだ。



・そしてたらの木は日々伸びる。ちょっと忘れていると平気で伸びている。ますますもって刺だらけ。忍者の脚力を鍛えるのにはもってこいのたらの木。毎日見る。あるいは写真に撮る。忍者の修行のようなイメージ。ぐんぐん伸びる植物を飛び越えるイメージ。あるいはふんどしの布が地面につかないような速度で走るイメージ。イメージはいつだってこのように自由だ。



・業務は本日から通常の営業。終了後に同僚でBERGで軽く3杯。お互いに最近の気になっている事柄を話したならば、それは尽きない。少し前に購入した『ミルフイユ 03』という本があって、その本で志賀理江子という写真家が話していた(書いていた)ことがとても面白かったという話などを振る。あるいはそこからまた(何度目だろうか)高橋悠治という人と茂木健一郎という人のICCでの対談を思いだしていた。それは「『質問』があれば『答え』があると思うのですか?」という難しい問に、その時々で答えようとする(答えようとすることは『答え』を出すことではもちろんない)ようなことでもある。質問が溢れ出すイメージ。



・秋のイメージ。コーデュロイとネルの。コーヒーの。天高いイメージ。