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  映像研究

知らない

 
・庭部分に植わったたらの木がどのような芽を出すのかわからないのと同じくらいに未知であるような2012年の春が始まった。4月5日は入学式。4月6日はガイダンス。とうとう入学してしまった。友達に「13年ぶりの入学式おめでとう」とメッセージを貰って、それはもちろんそうなのだけど改めてその時間の不思議さにくらくらしてしまった。まったく自分にとってのタイミングだけでいつも新しく何かを学ぼうとしているが、それにしても大きな波が来たって感じだった(だから波に乗る)。そしてその「何を学ぶのか」については、実際のところ余り良くわかっていない。それでも文章を読み、文章を書くのだろうと思う。だから備忘録に記す、この文章の何かも変化するかもしれない。変わることは大変だけれども(漢字の何かで上手いことを言おうとしているのではなくて)多くの場合は「変わってしまった状態」を「既に与えられた/新しく付け加えられた条件」として、可能なかぎり肯定的に受け入れた上で、また別の事を考え始めるのだろうと思う。



・というような心構えとは全く別のレイヤーの事柄として、超具体的な事、例えば自分が「通学用定期券付きのsuica」を生まれて初めて購入した、というような事柄に何よりも驚いているような2012年の春。あるいは映画館で映画を観ることが安くなる。あるいは美術館に展覧会を観に行くことも安くなるだろうしあわよくば無料で入れる。そして市の図書館にはないかもしれない専門的な本やDVDを借りることができる。そういうことが許されている。そういうことが許されている状況に慣れるにはしばらく時間がかかるかもしれない。うっかり「2年間で一体幾ら得をするのだろう」と計算してみたくなったけれども、そんなことをしている時間に何か別のやるべきことをやった方が良い、ということくらいは考えられる冷静さを持っていたい。いずれにしても「そういうことが許されている状況」を有効に活用しようと思っている。



・ある言葉のつづきに別の言葉をつなげてみることから、そのつなげられた状態を読むことから、新しい何かを考えてきたのだし、ある動きのあとに別の動きをつなげてみることから、そのつなげられた動きを観察することから、新しい何かを考えてきたのだと思う。その「つながる」という事、「つながる」とはどういうことか?とか、つながった結果としての社会やメディアの特性とか働きとかを考えるかもしれない。その「つながる」時のつながり方を抽象化したアクティヴィティとしての芸術行為についても知ろうとするかもしれない。色々な事柄があって今がある、として。