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  映像研究

東京の街が奏でる

 
・2012年の3月26日はオペラシティに小沢健二『東京の街が奏でる』を観に行く。あれはもう2010年だから2年前のことになる前回のコンサート『ひふみよ』の時のことを思い出したり思い出さなかったりしながらも、今はまた別の時。また別の新しい時。新しい時の新しい季節に、新しい気持ちで時めくような音楽を聴きに行く。


・東京の、街が、奏でる、の「東京」についてぼやっと考えていた。考えるというか「東京」の、その東京らしさのような感覚をイメージしたり思い出したりしながらこの数日を過ごしていたのかもしれない。自分にとっての東京は、それこそ小沢健二という人が数ヶ月に一度8cmのCDシングルを発売するのを楽しみに待っていたような時代の印象が強く有って、東京都とは言えその西の方(かつ北の方)に住んでいた自分としては、東京という街にも色々な通りや風景やコミュニティがあって、それぞれ微妙に違ったり重なったりするようなファッションとか音楽とかがあるのだなぁ、楽しそうだなぁ、と思いながら日々を暮らしていた。日々を暮らしていたことを思い出す。時めくような気持ちで、東京の街から生まれる色々な何かを見たり聴いたりしていたことを思い出したりもしている。


・都市の、街の、ポートレートのようにも思えるような音楽が並ぶ。色々な時間の、色々な風景を切り取った、断面のような音楽が立体を作る。オペラシティのホールは宝石のようなかたちをしていると思ったけれども、そのかたちのような立体の中にいた。『春にして君を想う』とか『東京恋愛専科』とか『それはちょっと』とかが、とても良かった。ラブソングも良いなと思う。ラブソングを通じて時間のことを考えたりするのも良いのかもしれないなと思った。日々の生活の中で時々「ああ、大人になって良かったなぁ」と思ったりすることがあるけれども、そういう気持ちになった。そしてもちろん『ある光』が良かった。意外と『あらし』も良かった。あとは例えば『大人になれば』とか『恋ってやっぱり』とかも聴きたかった。


・そしてつい終演後『我ら、時』を購入してしまう。とても高価なので一緒に行った人と折半して購入した。クレジットカードで購入した。そして今オリーブの連載の『ドゥワッチャライク』を読んでいる。当時の3の日と18の日を楽しみにしていたような気持ちを思い出しながらぱらぱらと読んでいたならば、そこに書かれている文章から、自分は思いのほか(本当はわかっていたけども)色々な感覚のきっかけのようなものを知ったのだなとあらためて思う。何かの面白みとか、快楽とか、そういうものの在りどころについて、具体的にも、もっとイメージとしても、知ったり考えたりするきっかけになっていたのだなぁと思う。「彫り模様入り白蝶貝ボタン」をどこに付けるか考えたりしつつ、読んでいる。