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  映像研究

2012年2月のある週の日記・その4

 
・木曜日の端的な日記。備忘録。昨日と今日が違う日であることを点検するための文章を書くつもりがとうとう書く事柄が無くなってきてしまった記録。その結果端的でもない記録あるいは練習。昨日購入したエスプレッソ・マシンでコーヒーを入れてみた。曇っていて寒いので洗濯も出来ず本を読む一日。『未知との遭遇―無限のセカイと有限のワタシ』を読みながら『ドゥルーズ 群れと結晶』を読む。あるいは他の本を読む。朝ご飯は昨日の残りの「菜の花ときのこのすまし汁」に素麺を入れて煮麺に。昼ご飯は「葱ときのこを塩麹で味付けしたスパゲティ」。夜ご飯は「生姜焼き定食(納豆つき)」。それでご飯を作る合間に本を読み、本を読む合間にご飯を作る。あるいはお茶やコーヒーを入れるのに忙しい。このような空白のような時間が許されていることに対して(誰かに・何かに)感謝しつつ、週末のために出来る限りの準備をしよう。暖かくなることをイメージしたならば、毎年ならば「春はあまり好きな季節ではない」というのが定型的なフレーズになっているけれども(と言いながらも大抵楽しく花見とかする)今年は、そもそも春になることが楽しみであるという新しさ。同じ形の図形をなぞるように時間を過ごしても、それがずれながら、どこかで決定的に違う図形に/運動に「なる」ことだけイメージする。という、そのような、同じことを考えている。同じことを考えて、同じことを備忘録するけれども、すっかり忘れて全く意図せず同じことを記す。少し違ったニュアンスで、同じことを記すかもしれない。



imacipodも真っ白になって色々な音楽のことを忘れてしまった最近。あんなに沢山の音楽(と映像)を知っていたのにすっかり忘れた人。忘れてしまっただけでは困るのだから、本を読む傍らでimacに新しく音楽を覚えてもらおうと思って(ipodは新しく覚えることもできない)CDを入れたり出したりしている。そしてCDともなればそのほとんどが「90年代」だ。というか「90年代のJ-POP」だ。あるいはむしろ「70年代のJ-POP(とは言わないのか)」だ。そこで「00年代」の音楽を聴こうと思ったら御茶の水まで行かなくてはいけないのか。youなtubeに訊ねればいいのか。どうなのか。90年代の半ばに「The Chang」というバンドが好きだった。でもあまり情報がなかったのでCDを2枚持っていたのみ。自分は90年代の半ばに、王子的な人は別枠として、サニーディ・サーヴィスとかホフ・ディランとか、そういう種類の(「そういう種類」だったのだと思う)音楽を楽しみに聴いていたけれども、そういうものとは少し別の感じで「The Chang」は特別に好きだった。同じ西東京でも、自分は北の方に住んでいたのだから、もう少し南の、というか単純に「中央線の感じ」は、決して遠くないなりに心理的には「向こう側」で、それを少し羨ましく思っていた。「大学通り・桜通り・甲州街道・16号」という歌詞が国立という街なのだとわかった時の不思議な気持ちも思い出す。



・何かを思い出しそうになるような音楽をBGMとして流しながら準備。準備する木曜日。