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  映像研究

メモ(3月20日に書くことについてナイーヴに考えるメモまたは物語)

 
・3月20日の備忘録。



・誕生した日や各種の記念になるような日以外の、まったく自分にとって特別な日としての3月20日がやってくる。「やってくる」だか「そうなった」だかして、しかしいずれにしても今はその時。また過ぎ去る時の最中の今。2007年の3月20日に書くことを始めたのだった。2007年の3月20日に「地下鉄サリン事件が起っていた一方、義務教育を卒業した1995年の3月20日からちょうど(?)12年」ということを口実に、再び、だか、三たび、だか、何かの続きを書き始めたのだった。だから毎年3月20日になると「書くこと」と「考えること」について思いを巡らせることができる。自分のために記された備忘録の中の任意の定点としての「320」を辿ることで、ふと思い出したり、新しく思いついたりすることがある。区切ることの出来ない時間の中に任意の点を定めることはそれ自体面白い。



2008年の3月20日には、H Jungle With Tの『WOW WAR TONIGHT』の歌詞を思い出しながら「温泉に行くこと」を「マルチチュード」になぞらえて考えていたり2009年の3月20日には、「学ぶこと」と「暮らすこと」を結びつける実践的なコミュニティの社会科見学としてソウルの『スユ+ノモ』という場所に行っていたり2010年の3月20日には、山部でネイチャースキーというアクティヴィティのために中央高速を走っていたり2011年の3月20日には、震災直後の東京で『ゴダール・ソシアリスム』を見ながら何かを考えつつ、友達夫妻と夕食食べていたりしていたということが、今この場所でわかることも面白い、というか不思議に便利で、特別なことだとあらためて思う。



・そして2007年の3月20日に、ふと「&」と思ってみたのだった。正確には「&!」と思ってみたのだった。それまでも何か言葉を記したいと思っていたけれども、そうして記してみたりしてきたけれども、ウェブのような環境で言葉を記す上で適当と思えるコンセプトだかテーマだかが見つからないのならば、むしろ、書かれた断片を断片のままに並べてみようと思ったのかもしれないのだった。そしてもしもその上でコンセプトだかテーマだかという考え方を採用するのならば、その書かれた内容ではなくて、書く方法、断片同士の繋がり方、共有のされ方、テキストの残り方、そういうこと自体がコンセプトだかテーマだかになるかもしれない。だからそれは、書かれた断片が続けば続くほど面白くなってくるかもしれないし、続くことで初めてわかる感覚があるかもしれない。書かれた断片がぐだぐだっとなったときを経て、あるいは何も書かれなかった空白のときを経て、また別の事柄が書かれれば書かれるほど面白くなってくる種類の文章があるのだろうと、そのように思ったのかもしれないのだった。



・そして「誤用」とか「転用」とかいう概念がずっと気になっていたのだった。そのように思ったきっかけは色々にあると思うのだけれども、ひとつには学生の頃のある授業が印象に残っている。自分は多くの人と同じように大学で沢山のことを学んだと思うし、それは授業と/授業以外という風に分けられるような種類の環境ではなかったけれども、それは確か2年生の特別講義のようなものに、単発のゲストで来てくれた講師の先生が話していたことで、どういう文脈だか全く覚えていないなりに、それは「テクノロジーと表現」あるいは「表現と芸術」というようなことを話していたのだと思う。それはとてもカジュアルな話し方だった。話していたこともとてもシンプルで「機械があればそれを間違った使い方で使うこともできる」と。「機械を壊れるぎりぎりのところで使うことによってその特性を知ることができる」と。そういうことを話していたように思うけれども、それは記憶の中で、少し違った風になってしまったかもしれない。ちなみにその話をしていた講師の先生はターンテーブルを使って壊れるんじゃないかと思うような方法で演奏をする音楽家の人だったのだけれども、当時はその人がどういう人なのか知らなかったので、話を聞いても、音楽を聴いても、自分は「ぽかーん」としていた。



・そしてずっと「機械を間違って使う」ことを考えていた。より正確には「間違って使う可能性」について考えていた。あるいは「正しく使うことと間違って使うことの往復または両立」について考えていた。そして「機械を間違って使う」ことは「機能(だと思われているもの)」の外に出ようとすることで、「外に出る」というような言い方がナイーヴかつ適当ではないならば、少なくとも「機能(だと思われているもの)」を「相対化すること」ができるのだと思っていた。思っていたかもしれない。そしてそれはいわゆる「テクノロジー」や「機械」らしいもの、例えばターンテーブルや、コンピュータや、ビデオカメラなどの電子機器だけではなくて、他の「機能を持つ何か」にも応用できたりしないかな?というようなことも考えていたかもしれなかった。そうしてある本の中で「ハッキング」という概念が、やはり「誤用」と結びついているという文章を読んだときに、はっと思って、それはもしかすると「時間」みたいな概念には適用されたりしないのかなぁ?というようなことを考えてみた結果として、2008年のいつかには「労働のためとされている時間を『誤用』する一例として『山登り』がある」と(試しに)言ってみたりしたこともあったのだった。



・そして「誤用」や「転用」や「ハッキング」することはそれ自体楽しい。その楽しさはほとんど「創造すること」とぴったりと重なるような楽しさで、むしろ「創造すること」の楽しさのきっかけこそがそこにあるのかもしれない。今をときめく建築探検家(という肩書きをもう今は使っていないのかもしれないですけれども)が、その個人史を語るときに「勉強机を部屋に見立てて遊んだ」ことを始まりとして話すように、多くの人にとっての創造の始まりには、空間を「誤用」したり「転用」したり「ハッキング」した結果として、結果的に「秘密基地」と呼ばれるような状況が出来上がってしまった(そう呼ぶのは概ね大人の方で子供は何も考えずにただ作っているだけだったりする)ことにあったりする。そしてだから、時には「秘密基地」が誰にとってどのように「秘密」なのか、また誰にとってどのように「基地」なのかについて考えてみることはとても意味があることのように思うけれども、ちょっと話題が逸れるので(たまには話題を逸れないようにコントロールしながら文章を記してみたいと思った)また別の機会に考えて、記してみようと思う。



・そして文章を書くことに関して思い出すならば、自分が意識して(返事じゃない言葉を喋りだすのなら的な意味で)文章を書き始めたのもちょうど1995年の始めのことで、それから丸々3年間、何でも良いから毎日文章を書くことにしていた。良品計画のB5のノートブックを月に一冊埋めることを自分のルールとして、文章を書く。文章を書くのだけれども、それは備忘録ですらなく、もちろん誰に読ませるための文章でもないので、自動的に、言葉はコミュニケーションとしての機能を失った言葉になってしまった。文章を書く。その日起ったことを書く。その日起ったこと「について」書く。その日考えたことを書く。その日考えたこと「について」書く。その日とその日以前の日がどのように繋がっていたり/繋がっていなかったりするかを知る。単語を書く。形容詞を書く。単語の羅列を書く。単語と単語が並んだ面白さを知る。色々な大きさの色々な字体で書く。なるべく「考えないようにして」書く。書くことについて書く。様々な「書くこと」について書く行為は、それ自体が実験とも言えるし、そんな大層なものではないなりに「遊び」であると言えるかもしれないし、でもきっとそれは、言葉と、筆記用具と、平面の「秘密基地」のような場所だったのかもしれないと思う。それを「日記」と思っていた。



・そして「日記」を書くことに飽きたら「写真を撮る」ようになる。書く量と撮る量がクロス・フェード的に変化したならば、言葉を読むことよりも映像を撮ったり見たりすることが、自分にとって特別な行為になっていた時もある。それは写真の「日記」というようなものだったのかもしれないけれども、その「日記」が違うのは「人に見せる」ことを意識した上で写真を撮っていることだった。良品計画のアルバム(1ページに3枚のサービス版が入り見開きで6枚のサービス版が見えるタイプのもの)を月に一冊埋めることを自分のルールとして、写真を撮る。写真を撮るけれども、それはあらゆる「撮る」ことの実験になる。そしてその方法は、言葉を記すこととはまた違ったことを考える、知るきっかけになっていたのだと思う。基本的に良品計画の文房具が好きだったのだと思う。



・そして2000年を過ぎた頃に気がついたことは、日常的にウェブを見て、ウェブから情報を得て、あるいはネットワークでコミュニケーションをすることが普通のことになったならば、ウェブにテキストデータを定期的にアップロードすることを「日記を書く」という言葉で表現するのだということで、自分はそのことを知って、頭がくらくらするほど驚いたような記憶がある。自分にとって(言葉で)「日記を書く」ということは、基本的には誰にも読まれないことを前提として、言葉にしてみることによって、初めて何かに気がつく、自分のための行為だと思っていたのならば、ウェブにおける「日記」はむしろ積極的に読まれようとしているのだった。ウェブページに、SNSに、ブログに、自分に起った事柄、自分が体験した事柄、自分が考えた事柄を記したそのような文章は、往々にしてみんな「忙しそう」だった。「何を見た」「何を聴いた」「誰と会った」「どんな作品を作った」事柄が、日々絶え間なく更新されている、そのような文章を読んでいて、自分はその文章は「広告」だと思った。「ああ、このようにして人はネットワークを使って、日々自分自身の広告を打ちながら、自分自身の価値を不特定多数の人々に向けてプレゼンテーションし続けるような社会がやってきたのだなぁ」とまで思ったか、思わないかは微妙なところだけれども、ともかく自分が考えていたような意味での「日記」は、それが「日記を記すこと」のすべてではなくなってしまうのだなぁと思ったり思わなかったりしたのだと思う。



・そして「誤用…。」と思いながら、時々忘れながら、大抵が目の前の状況に対応することが精一杯ながら、書いたり書かなかったりしてしてみたならば、5年経った。5年経って、その5年という時間の幅の始まりの点と現在を比較してみたならば、あまりにも同じで、あまりにも変化している。大きな変化があり、小さな変化がある。一瞬と思える変化があり、幅を持っているという風に思える変化がある。個人的なことに属すると思われる変化があり、身近な人における個人的なことに属すると思われる変化がある。社会的な変化がある。自分に関係したり関係していないように思えたりするけれども、それは風が吹けば桶屋が儲かったりするように繋がっている。具体的に目に見えるかたちでの変化があり、目には見えないけれども示すことの出来る変化がある。目には見えないし、示すことも難しいような変化がある。自分では気がついていない変化があり、誰も気がついていないような変化もある(かもしれない)。



・そして、目に見えない変化の過程として、示すことができる結果として4月から学校に勉強しに行けることになった。なった、と記しつつも、まだ本当に「なった」のかどうか、現時点では諸々不安でしかないけれども、とりあえず手続き上は、なった。そのことを最近会った人に報告したならば「何を勉強しに行くのですか?」と質問されて、そりゃ自分だって逆の立場だったら全く同じ質問をするのだろうけれども、いざ質問されてみると全然うまく答えられない。そのような質問に全然うまく答えられないような人は、入学試験と呼ばれた面接でもやっぱりあまりうまく答えられなかったのだから、そんな人を合格させて良いのか逆に不安になるけれども、しかしいずれにしても、そのような質問をされるたびに「映像について勉強します」とか「芸術について勉強します」とか、あるいは「社会について考えてみます」とか「『について』について考えます」とか、質問した相手によって、微妙に微妙なアレンジを加えつつ答えようとしてみるのだけれども、全然うまくいかない。「ぼやっとなにか考えていてたまたま手に取った本を読んでぴんときたからその人に会ってみたいと思った」というのは、なかなか正確な気もするけれども、それはもちろん完全にニュアンスなのだった。



・3月20日と備忘録について書く。