・覚えている限りのMMの記憶は1日目。とうとうこの朝がやってきたと言うべきフェスティヴァルの朝は快晴。赤いズボンをはいて黒いpatagoniaのフリースを着た。ニットキャップを被った。家の中の色々なものを実家のデミ夫に積み込んだならばもはや誰も乗ることが出来ない様子。庭的な部分に積んであった焚き火用の薪をばらばらと積み込む。テントや寝袋も積み込む。冷蔵庫の中の食材も積み込む。macbookも積み込んだけれどもプリンタは積み込まずに済む程度に準備は去年より万端であるはずの初日。8時半くらいに出発。カインズ・ホームで最終的な微調整としての買い出しも順調。
・会場である里に11時過ぎに到着してしばし待っていたならば後続の車両が到着して12時には「世界で一番静かなフェスティヴァル」の準備が世界で一番静かに始まる。管理の方に挨拶をしてインターネットの接続をして受付の準備をして14時。熊本から渡り鳥のようにT夫妻らが到着して15時から緩やかにかつ慌ただしく夕食の準備と会場づくりが始まる。去年と同じ場所で去年と同じようでいて去年とは全く違ったフェスティヴァルが始まろうとしていた。いつもの人。久しぶりの人。懐かしい人。はじめての人。色々な人がやってきたならば校庭では子どもたちとサッカーの交流戦。こちらは旗を掲げる。キャンプファイヤーの準備も進む。夕方になる。
・そうして日が暮れたならばキャンプファイヤーに火が灯される。炎を囲んで乾杯の挨拶。初日は25名ほどの静かなフェスティヴァルはこのようにして始まった。炎を見つめる私たちにDFJクルーのキャンプファイヤー・ミュージックは容赦なく流れ込む。そして踊りだす。『マイム・マイム』と『ジェンカ』のメロディーに合わせて、時に思い思いに、時に振りを覚えて踊ってみた。Rくんの家の家具だった木材も燃えていた。井桁に組み上げられたキャンプファイヤーが崩れるタイミングでまた静かな時間がやってくる。
・そしてキャンプファイヤーの前で木下さんの演奏の第一部。ギターを弾きながら歌。物凄い圧倒的な時間が流れて放心。第二部は教室に移動してピアノを弾きながら歌。凄いなぁ。こうなると普通のファンだ。音楽の時間が流れた。22時過ぎに終了。
・演奏の余韻とともに夕食のリゾットを食べる頃にはあらためてフェスティヴァルの時間が進行している事に気がつく。不思議な時間が流れ続けて24時から完全に2時間押しで『MM・夜の学校』が開校。教室の床に大きな日本地図がある。その日本地図に参加する人それぞれの「3月11日の現在地点」と「3月11日以降の移動の軌跡」を記すというアクティヴィティの時間。2011年の自分たちは誰もが誰がひとりひとり別々でありながら共通の部分もあるような「出来事」を持っているのかもしれない。それを「記憶」と呼んだり「体験」と呼んだりあるいは「物語」と呼んだりするのかどうなのか。それを見る。そして話す。そして聞く。
・なぜそのようなアクティヴィティを実行してみようと思ったのかは忘れた。あるいは忘れてはいないけれどもそのようなアクティヴィティを実行してみようと考えていた時のいくつかのことはもう今はない。「原子力発電所」について考えていたり「資本主義経済」について考えていたり「ローカリゼーション」について考えていたり「世界史の構造」について考えていたり「メディアを通じたコミュニケーション」について考えていたりしたことのうちの、もしかすると大半は忘れてしまった。だけれども考えた上で自分が知っているような10人や20人の人たちが集まっているような場所を想像していた。そしてその人たちが共有できるプラットフォームのようなものはないもんかなと考えていた。それがこれだったのかどうなのか。
・27時近くまで続いて「夜の学校」どころか「夜明け前の学校」となったけれども予定の3割も消化できなかった印象。それは少し残念だ。残念だけれども想像していたよりも色々な人が自分の言葉で「3月11日の出来事」について話していたことは良かった。みんな別々の場所でそれぞれの「揺れ」を感じていたことを思いだす。テレヴィジョンを通じて「原子力発電所の現在の様子」を見ていたことも思いだす。コンセントの穴の向こうと電柱が繋いでいる電線の向こうに思いを馳せたり馳せなかったりしたことも思いだす。「計画停電」という言葉を久しぶりに発音した。3月11日の揺れ以降に誰かと初めて電話をした時のことを思いだした。3月11日の揺れ以降に誰かと再会した時のことを思いだした。
・本当ならば色々な人の「移動の軌跡」についてもっと話を聞きたかった。福島や宮城や岩手に作業をしに行った人がいた。いち早くなるべく西に移動しようとした人がいた。ずっと東京にいた人がいて、ずっと東京ではない場所にいた人もいた。色々な人が色々な場所できっと色々なことを考えていた。あるいはまた自分であれば3月20日過ぎに特別な気持ちで山口県上関町の田ノ浦という場所や祝島という場所にいたことを話したりもしたかったなと思う。そのことをいつかまた誰かに話すような時は来るのだろうか?と考えてみたならばそれはわからない。わからないまま「夜の学校」は終わる。けれどもその「学校」のことをいつか誰かがちらっと思いだしたりすることも、もしかすると何かの可能性かもしれない。
・そのようにして「世界で一番静かなフェスティヴァル」の初日は世界で一番静かに終了。校庭に張ったテントで眠る。