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  映像研究

 
2011年のフェスティヴァルこと「マウンテンのミーチング」の詳細が明らかになってきた。「主催者」とかいう肩書きを相対化しつつ「呼びかけ人」あるいは「発起人」あるいは「旗を振る人」であるところの自分にとっても「明らかになってきた」と言うより他にない。明るくなってくる。ウェブ・サイトが出来上がってきたならば、写真や映像が見えるようになって、その映像や写真同士が繋がって「ある雰囲気」が生まれる。そしてまた言葉が書かれたならば、それはまた来るべき出来事の、想像の輪郭線になる。そのようにして「見える」ようになる。遊びに来そうな人の顔も見えるような気がする(not スピリチュアル)。



・それでダイレクト・メールという名のインビテーション・カード的な紙片まで出来上がってしまう。青空だ。10月の天高く的な青い空を見たい。10月の天高く的な青い空の下で色々な遊びをしたい。この集まりは本来の意味での「遊び」であると、そして大人が本気で遊ぶととんでもないことになると、そう思ったときの、お腹の奥に力を感じる瞬間の(not スピリチュアル)、そのときの感じを忘れずにいたいと思う今日この頃。大人が本気で遊んだ結果として「世界でいちばん静かなフェスティヴァル」というキャッチ・コピーに偽りが生じるのかどうなのか。



・昨日は会場である藤野の「篠原の里」を視察。視察というか普通にその場所の感覚を思いだすために遊びに行く。SMDくん、Mさん、Rくんの4人で行く。一年ぶりの里の学校を歩いて、幼稚園の子どもが跳び箱をやっているのを眺めて(うまいこと飛ぶなあ)、カフェでスープやパンを食べて(美味しい)、音楽系機材を再度チェックして(ミキサーの型番などメモする)、キャンプファイヤーの相談もして(え、ここにある木を燃やして良いのですか?)、アコーディオンの練習もして(ファイヤーに欠かせないので)、そして帰る。