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  映像研究

365日と風、あるいは波。

 
・365日が経った。あまりにも普通に、普通ではない「2011年の3月11日」から一年経った日としての「2012年の3月11日」がやってくる。「やってくる」だか「そうなった」だかして、しかしいずれにしても今はその時。また過ぎ去る時の最中の今。線状に数え上げたならば偶然の365日。円のように一周してみたならば、また同じ季節の365日。



・数え上げられる時間としての365日分の、力と、運動と、何かについて。風が吹けば(埃が飛んで…目に埃が入って…目が見えなくなる人がいて…三味線を演奏するようになって…三味線を作るために猫が捕まえられて…猫が減って…ネズミが増えて…ネズミが桶をかじって穴をあけて…桶が売れて)桶屋が儲かるし、バタフライが羽ばたくと(色々あって)何かの効果が生まれるのだとして、地面が揺れると、何だ。地面が揺れると波がやってきた。波がやってくると、何だ。空気中に存在しない方がよい物質を沢山貯蔵した建物が爆発した。空気中に存在しない方がよい物質を沢山貯蔵した建物が爆発したら、何だ。空気中に存在しない方がよい物質が沢山空気中に放たれた。それは何だ。どうなるのだ。何なのだろう。既にどうなったのだろう。これからどうなるのだろう。



ドゥルーズさんという人はどういう文脈だか知らないけど「『敵』が『不法侵入』することによって人は考えることを始める」というようなことを書いたりしているらしいけれども、そんな「不法侵入」は嫌だった。嫌だったけれども侵入してしまった。嫌だったけれども降ってきてしまった。嫌だったけれども降り積もってしまった。具体的な物質でありながら目に見えない、というそれ自体よくわからない存在の「不法侵入(本当に不法だなぁ)」によって、しかし確かに何かを考え始めてしまったのかもしれない。



・地面が揺れると波がやってくる。風が吹けば桶屋が儲かるくらいなのだから、地面が大きく揺れれば、そして波がやってくれば、何もかも壊れる。壊れかけていた物、壊れやすい物、一見壊れなさそうな物、壊れるはずが無いと思っていた物、みんな壊れる可能性があることを知る。そして桶屋が儲かることで何かが終わった気になるのは物語の観過ぎだ。桶屋が儲かっても現実は続く。現実に結末は無い。「結末」は限られた人間が持っている特殊な概念だ。そして…、そして…、そして…、



・「桶屋が儲かれば、何だ?」桶屋が儲かって、儲かったら中国に工場を建てるかもしれない。今だったら中国よりももっと人件費が安い国に工場を建てるかもしれない。その国の木を次から次へと切り倒して桶を作り続けるかもしれない。切り倒しすぎて切り倒す木がなくなったら、プラスチック製の桶を作るために石油が必要になるかもしれない。石油を掘り尽くして石油が無くなったら、もう木で桶を作る方法を忘れていて、結果的に桶屋は潰れてしまうかもしれない。桶屋が儲かれば、桶屋は潰れるかもしれない。潰れるのが嫌ならば「株式会社OKEYA」は、桶を作ることからは撤退して、実体の無いお金を貸し付けることで増やし続ける新しい商売を始めるかもしれない。それは何だ?何だろう。



・地面が揺れると波がやってくる。いつも色々な事柄は驚く程に(驚きすぎて気持ちが振り切れてしまうほどに)同時に、何もかも、起こり続けている。



・風/揺れ/波の結果として、結果の現在として、あるいは自分自身が風に「なろうとする」ために、2012年の3月11日には昼過ぎに日比谷公園に行ってみた。2011年の3月11日を過ごした新宿を通り過ぎて、地下鉄の日比谷駅のホームの電光掲示板で「14:46」という表示を見た。自分の感覚するすべてが風であるような意識とともに。



日比谷公園では色々な友達と会った。挨拶をした。そして日比谷公園からデモンストレーションを歩く。銀座を歩く。有楽町駅近くを歩く。東京電力という株式会社の前を歩く。信号を待つ人々の前を、車ではなく、デモンストレーションの列が、風のように、本当に風として歩く(銀座でデモを見かければ…帰って家族や友達にその話をすれば…デモについて考えれば…今の原子力発電所の状況について調べてみたならば…)。あるいはまたデモンストレーションを見る、デモンストレーションには参加していない、その人の視線が、風である自分にとっての、また別の風になる(デモに対して興味がなさそうな人の視線を感じたならば…その視線が忘れられないのならば…どこかでそのことについて話をしてみたならば…実際にデモに対してあまり好ましく思っていない人と話をする機会があったならば…)。



・そしてすべての人々と同じように風である人の中の誰かは集まる。集まって火を灯す。火を灯して「国会議事堂」と呼ばれている建物をぐるっと一周しようとした。ぐるっと一周できないようにする人もいた。多くの人が火を灯して、ゆっくり、あるいは素早く歩きながら、色々なことを考えたのだと思う。今目の前に燃えている火を見ながら、隣にいる人が灯している火を見ながら、隣にいる人と自分が別々でもあり同じでもある火を灯していることを考えながら、具体的でもあり抽象的でもあるような事柄について考える。「場所」について考えた。福島という場所について考えた。新宿という場所について考えた。清瀬という場所について考えた。高尾という場所について考えた。小金井という場所について考えた。熊本という場所について考えた。…という場所について考えた。すでに行ったことのある場所と、まだ行ったことのない場所について考えた。過去と未来について考えた。そして、



・家に帰ってたら疲れていたのかすぐに寝た。眠ると現在は一瞬飛んだように思う。目が覚めて今。