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  映像研究

90年代のJ-POPと箱状の歌唱施設における夏

 
・「くだらないこと/ばからしいこと/おもしろいこと/わからないこと/君は見るだろう/驚くだろう/でもそれがリアリティとかなんとかっていうものさ/いますぐに気がついて知ろう/難しくないよ」



・数日前からつい歌っちゃうフレーズがあって「なんだっけ…あの、リアリティが、どうのっていう」と思っていたらそれはホフディランの『コジコジ銀座』という曲だった。名曲だ。全体的に名曲だけれども特に「でもそれが」でベイビーの声とギターの音が入ってくるところが良い。しかしそれは90年代の東京(の一部を中心にした文化)にしかなかった「良さ」かもしれない。というか「ホフディラン」という人たちを久しぶりに思いだした。勢いに乗って『恋はいつも幻のように』を聴いてみたところそれがまた良かった。名曲だ。全体的に名曲だが特に「僕はもとへもどるように/君の背中見つめていた」というところが何かわからないけれども超良い。



・それで高校生の頃の夏休みには朝のような昼のような時間に起床したならば大抵テレヴィジョンで『コジコジ』を見ていた。ともすれば暇な午前中には『恋はいつも幻のように』のギターのコードを練習していたかもしれない。土曜日の夜はJ-WAVE小沢健二のラジオ番組をエア・チェックしていた。ある土曜日の夜にはエア・チェックを親に頼んで六本木のシネ・ヴィヴァンへ『真夏の夜のジャズ』を観に行った。そういえばエヴァンゲリオンの最後のやつも映画館で観た(3回)。あえて買ってみた「ステューシー」のTシャツが定番だった。それは1997年の夏休みだったと思う。思うけれども数年の夏休みの記憶が混ざっているかもしれない。とりあえず毎日写真を撮っていた。近所の都営住宅が大々的に壊されていてそこに通って撮っていた。ちなみに今はそこにはまた新しい団地的なものが建っている。



・それで時は流れて2011年の夏。業務が終わったアフター・スクールに吉祥寺の島料理店にて集合した某カレー店関係者に誕生日を祝っていただきつつ(素敵な靴下と面白い花をいただいた/ありがとう)箱状の歌唱施設へ移動。「90年代のJ-POPを歌う」という裏テーマがあったりなかったりしたけれども、全く思いだせずに唯一思い浮かんだオリジナル・ラブ『接吻』を熱唱。あとエレカシの『月夜の散歩』も熱唱。高校の時の憧れの先輩とブッダ・ブランドの『人間発電所』をデュエット。ところで我々にとっては機械で曲を検索するのが大変だ。思わずインターホンで「あの、本を下さい」と頼んでしまった。本は良い。あの分厚さが文化の重みだ。本で曲を探すと偶然的な再会がある。機械で曲を検索すると偶然的な再会がない。偶然的な再会に対して本気の夏。