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  映像研究

天候が変化しつづけて空が面白かったけど撮影することは忘れた。

 
・11月18日の木曜日。そういえばわがフェスティヴァルまですでに残り10日を切ってしまっていた。大変だ。いや大変ということもないけれども「一応それらしく」するためにはもう少し準備したって良いのではないかというこれはアレンジのレベル。実験に実験を重ねる段階のどこか。いつもなにか「やってもやらなくても良いんだけれどもやった方が面白いかもしれないこと」をやっているときに「やらなくてはいけない」と思ってしまわないように気をつけようと思う。面白い、と思っている人が呼びかけたことを、他の人も同じように面白い、と思うということが本当に面白い。マインドは「おもしろき こともなき世に おもしろく」だ。小学生のときにウルトラクイズの解答でその高杉晋作の辞世の句を知った。ちなみに大河的なドラマには全く特別な気持ちを持っていません。



・それで本日も「竹から椅子を作る作業」トータルで4日目の作業。「1:試作品を作り」「2:竹を切り出し」「3:竹を切りそろえ」そうして今日はその竹を組み合わせる。こんなに頭を使うものか、というくらいにあらゆる段階、状況のことを同時に考えながら作業しなくてはいけないのだ。いや「しなくてはいけない」というか「する」のです。「した」結果「だめ」だったら座ったときにぺしゃっとなって寂しい。それでまた工夫する。山部部長と山部ガール国立班(藩)とともに作業。朝から身体を動かす作業をして10時(かりんとう)と3時(どら焼き)におやつを食べるのとかも、なんか良い。途中通り雨に降られて、八王子周辺に停電が起こり(影響なし)、寒さに挫けながらも、夕焼けはきれい。一応本日やるべき段階までは終了。少しだけロープと仲良くなれた(非ボーイスカウト系山部として)。



・Wちゃんが買ってきてくれた帆布を受け取りいよいよ完成に近い。そしてそのまま晩ご飯を食べつつ歓談らしい歓談。山ともフェスとも関係のない歓談。「素晴らしきかな人生」というようなジャンルの話を聞く。素晴らしい。またWちゃんからMMで『ミツバチの羽音と地球の回転』の宣伝というか予告編を流してもいいか、という発案があり、もちろん、というか、MM自体がそういうフリー・マイク的な趣旨であるのだし、それが『ミツバチ』のような映画であるならばなお良しと逆オファー。このようにしてタイミングが合って色々なことがつながってきていることを面白く思う。21時に解散。



・それで家に帰宅したならば積まれた本。それらの右から左までを見渡して(文字通り空間的な意味)右から左に、左から右に移動する作業を寝るまで。何となく今ならさらりと頭に入ってくるのではないかなと思って持ち歩いているデヴィッド・グレーバー『資本主義後の世界のために (新しいアナーキズムの視座)』と柄谷行人NAM―原理』を読んだりもしている。それらは試みの本だという意識なのだから自分もささやかな試みをしているのかもなと思っていうようなときならば少しは読める気がするのです。そういえば昨日トーク・イベントに行った坂口恭平という人が「日記を終える宣言」のようなことを日記に書いていた。面白く読んでいたのだから少し残念、ではあるものの、その理由も含めてそれもまた面白かった。



・個人的には最近つぶやきを経由してまた備忘録することそれ自体を面白いと思っていることに気がついた。「書くことと書き換えること」というそれは昨日考えたことのつづきでもある。「大不況には本を読む」というちょっと面白いタイトルの本を書いた橋本治という人が「セーターを編み、ほどき、また編むこと」を書いていたこともきっと関係がある。椅子を作ってみて、座ってみたらぺしゃんこになって、また別のバランスを探って椅子を立ち上げることにもきっと関係がある。「思考のモデル」とするのはあまりにもあまりあるそれはありふれたただの実践。そのようにして備忘録強化期間でもあるところの11月もすでに半ばを折り返し。継続&更新&。