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  映像研究

普通の日記、あるいは暗号

・日曜日の出来事を月曜日に書いておく。丸一日家で作業。家族が日曜にもかかわらず出勤だったせいか曜日の感覚がわからなくなってきた。作業は思うようにスムーズに進まず唸りながら書いては消しを繰り返す。

 

・前から気になっていて注文した本、松實輝彦『広告写真のモダニズム 写真家・中山岩太と1930年代』が届く。題材や対象の絞り込みという点で学ぶことの多い本だった。読みつつ書く。夕方作業に少し明るい兆し。兆しを大切にしたい。

 

・夕食は今シーズン何度目かの扁炉(ピエンロー)。安定の味。

 

・夜は22:30から山部オンライン・忘年会的な接続。友人が仕事で定期的に文章を書く必要があるという話から、転じて話題は「日記を書くこと」になった。みんなそれぞれの場所で、PCで、スマートフォンで、あるいは紙に、日々の出来事を書いている。誰に見せるでもないつもりで書いている友人が、しかし子が生まれて以来いつかその子が読むことを想定して書くようになったという話が面白かった。一方別の友人は子はいるがそのようなことはないとも言う。アプリの10年メモを書く友人の話も良かった。そういえば自分は本の形の10年メモは脱落した。手帳と並行してTwitterを日記のように使う友人も良い。色々だった。

 

・日記を書く。自分の場合は、書く作業の準備運動として書き、それが記録となることも面白い、と思って書く。いつからか固有名詞は少しずつ消えていき、出来事自体の意味も薄れていった。書く時のリズムや言葉の選択が、少しの連続性のようなものを生じさせる。「一貫性」とまで言えない。しかしそれをまずは自分が受け取る。

 

・同時に、一つの言葉が、言葉の流れが、書かれていない何かが、偶然に他の人に届くことは面白い。具体的な事柄でありながら、同時に暗号のような文章。面白いと思っているのは、それがオンラインのサーヴィスとしてある日記だからなのだろう。あるいはまったく予想していない人から唐突に「読んでますよ」と言われた時のおそろしさ。しかしもう、そのようなおそろしささえも「面白い」と思うようになってしまった。

 

・忘年会(最終回)の約束をして25:00に切断する。