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  映像研究

名称のわからないものの誘惑

 
・晴れ続けてとうとう金曜日。



・最近靴のことばかり考えている。ぼんやりしていると「靴…」とかつぶやきかねない。そしてそれは革の靴です。10年くらい前まであんなにスニーカーを買い込んでいたことが信じられないくらい、非常にナチュラルに今は毎日が革靴の日々。レッド・ウィング、クラークス、レッドウィング、レッド・ウィング、たまにダナー、またレッド・ウィング、たまにTO&CO・・・という具合ですべて革の靴。すべて動物の恩恵。そしてベージュから濃い茶色までのグラデーションに収まっているローテーションは考えてみれば高校生のときの憧れの生活を体現している(足下のみ)。ところで数年前に某荻窪の某PXにて「ああ、この何とも言い様のない、ほどよいダサさのブーツ良いなぁ」と思って、ついぞ購入しなかったが、その後ずっと気になっていたその靴のジャンルは「モカシンブーツ」という名称だということが昨日わかった。そして対象の名前がわかると急にもっと好きになってしまうということが人にはきっとある。だから昨日から「モカシンブーツ…」とかつぶやきかねない。いつか購入するかもしれない。しかも全然インディアンぽかったりしないような方のモカシン。



・ぼんやりとモカシンブーツのことを思い浮かべながら出勤。電車の中ではずっと「近々読む本コーナー」に積まれていた市川健夫という人の『風土の中の衣食住 (1978年) (東書選書〈26〉)』を読む。前半は衣食住の「食」だ。野沢菜の来歴について知る。口の中が完全に野沢菜だが自分は京王線に乗車中。業務終了後は後輩で木工を勉強している者にせっかくだから本棚を作ってもらおうと声をかけていた件。イメージを絵にしてもらったのだが、それがとりあえず全く本棚ではなく、辛うじてブックエンドでありつつも、しかし冷静に見てみればそれはもう単にオブジェ、というような独創的な作品だったので、少し考えてGOを出す。せっかく知っている人間にお願いするのならば「よくわからない代物」でなければ意味がないという発想。「本が置ける何か」が必要なだけならば、船橋あたりのコンテナみたいな空間から木片を安価に輸送してくればそれでよいのであって、そうではないものが今は必要という結論。