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  映像研究

高速バスに乗ると集中して本が読めるタイプ

 
・前日のフェスティヴァルの下見から帰ってきて実家carを返却して、そのまま昼過ぎに新宿駅から高速バスに揺られて名古屋へ。月末まで行われている『あいちトリエンナーレ』に行こうと思い立ったのだった。それもまぁあるひとつの「フェスティヴァル」だしな、ということはさして考えないにしても、とにかくせっかくの秋休み(後半)なのだし、ちょっと関東地方ではない地方へ、しかも山登り以外の理由で出かけてみたいと思っていたところに恰好のトピックスだったというところは正直ある。元同僚の展示を観たかったというところももちろんあります。



・それでせっかく高速バスに乗るのだからとPAYDAY前の懐事情もすっかり忘却して(他にも色々なことをあっさり忘却した)書籍を購入する。各所で話題となっているらしいということで、佐々木中という人の『切りとれ、あの祈る手を---〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』という本と、そして『子どもと昔話』の新しい号も一緒に購入する。前者の略称は『切手』なのだとか。ほぉと思いながらきれいな赤い表紙をめくり、一気に読む。名古屋到着までの6時間ちょっとで一気に読む(ちなみに帰りのバスでももう一回読みかける)。とてもフレッシュな書物。にやにやしながら読んだ箇所もあり。面白かったのだけれども、どこがどう面白かったということを伝えることが非常に難しい。今たまたま思いついた面白かったところを挙げるならば、「情報」という言葉に、決して肯定的でない、特定の意味を与えているようなところとか。「われわれは情報と暴力の海で溺れている」というような言葉とか。



・そうしてそのような刺激を埋め込まれた状態で、翌日の日曜日と翌々日の月曜日は『あいちトリエンナーレ』を観て回る。それにしても日曜日はものすごく人が多かった。家族づれとかヤングなカップルとか大学生と目されるグループとか自分のようなお一人さまとかが会場を右往左往している。母親に手を引かれた幼児が巨大な絵を指差して「お母さん、これがトリエンナーレ?」と聞いていたのは少し良かった。そしてお母さんの「そうよ、これがトリエンナーレよ。」という返答もかなり良かった。どうやらそれが「トリエンナーレ」らしい。



・恐らくは3分の2くらい観た中で個人的に、良いなと思ったのは、ナウィン・ラワンチャイクンという人の作品で、それは父親である作家が小学生の娘に向けて書いた手紙を中心とした、数枚の絵画、インタビュー映像、ビデオインスタレーションを含めた展示だった。「作品」と言われるものには色々なものがあるし、それは「現代美術」に限ってもそうだし、そして当然すべての作品がそのようである必要があるとか、そんな風には全然思わないのだけれども、その作品に関しては「具体的に伝える相手が決められているメッセージの持っている力」を感じた。概念のためのオブジェでなく、ただそこにある物の強さ、この場合の「物」は、手紙やビデオなどのコミュニケーションのための物、そして言葉。「概念のためでなく」ということは、同時にそれが具体的な時間の中にあるということでもあるのだと思う。具体的な時間、そして場所が、展示スペースと呼ばれている現れると、ちょっとびっくりした。そしてそのびっくりはかなり良い。