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  映像研究

休暇中に思っている色々なこと。

 
・あるブームというか気分のようなものが訪れたならば、図書館や古書店で特定のキーワードを含むタイトルの書籍はとりあえず手に取ってみる。「自然」と書かれている本が集まってくるのもそういう理由で、たとえば川崎謙という人の『神と自然の科学史 (講談社選書メチエ)』という本が今目の前にあるのもそういうわけです。まだ途中なのだが「自然」という概念と「西欧自然科学におけるnature」という概念の翻訳しきれなさからスタートして、宗教から認識論までカバーしている模様。意外なところで「アウトドア・アクティヴィティ」と「思想」を繋げられるきっかけになるかもしれない。つかえながらも期待して読み進める。



・樹木についての本を読んだりもした。竹村真一という人の『宇宙樹』という本には、生物学的あるいは民族学的に「木」について考察した事柄が色々と書かれている。「木は地面を境界にして枝と根がネガとポジのように存在している」とか「動物の器官が逆立ちしたような構造になっているのが植物(食=口=根と生殖=性=花)」とか、更に「植物は動物を裏返したようなもの(消化器官にあたる部分が外側にでているから)」とか、そういう面白い発想を知ったのがちょうど八ヶ岳に行く直前だったのだから、森の中を歩いていてもつい樹木の色々なところに目がいってしまった。



・近所に住むWちゃんから『六ヶ所村ラプソディー―ドキュメンタリー現在進行形』という本も借りて読んだのだった。「おしゃれについての記述もあるよ」と。数年前に『六ヶ所ラプソディー』を、そして比較的最近『ミツバチの羽音と地球の回転』を観たのだけれども、わりと観っぱなしというか、他のことに繋がっていなかったものだから、ちょうど良かったと思って読む。映画を思い出しつつ、あらためて凄く大変なバランスのもとに成り立っていた映画(特に『六ヶ所』)なのだということを考える。後半の対談では「おしゃれ」についてっていうか、「作品における政治性」の話題から必然的に「(広い意味での)運動の広がりかた」「ライフスタイルの違う人にどう語りかけるか」というような部分があり、興味深く、多少なりとも切実に読む。



・そして上記の書籍で「おしゃれ」の功罪(とは書かれていないけれどもそういう文脈で)として、『たとえば「ソトコト」はお金を持ってる人が「エコ」を装いつつ、実際は「オール電化」みたいな全然「エコ」じゃないメッセージを埋め込んでいる』というようなくだりがあって、それはもう全くその通りだと思うと同時に、でもそもそも「おしゃれ」っていう言葉をそういう意味で使うなよな、そういう意味っていうのは、何も考えないで済むような、きっちりマーケティングされた結果無害だってわかってるものに貼られる印のようなものだって思うなよな、「おしゃれ」って本来は何かをクリエイションしている人に対する賞讃の言葉、あるいは「ああ、かなわないな」って憧れのため息のようなものなんだよ、それは決して表層的な事柄だけに適応されるわけではないのだよ、っていう気持ちもある。あるにはある。



・たとえばたぶん10年ぶりくらいにふと聴いた曲、カヒミ・カリィの『若草の頃』という曲はめちゃくちゃ良い曲だった。どうしてこんな良い曲なのだろうというくらい良い曲だ。特に「雲の上で私たちは笑う/それが森の中で木漏れ日に変わる」というところが良い。凄い歌詞だ。今聴くと突き抜けてる。辛酸なめ子がちゃかしたくなるのがよくわかるくらい本当に「おしゃれ」。当時どんなかんじで聴いていたのか、もう思い出せないけれども、とりあえず手帳にカヒミ・カリィのシールを貼っていたことだけが事実。完全にアイドルだ。しかしアイドルはさておき、そして色々と考えるややこしいことはそれはそれとして、同時にこういうファンタジーを、ファンタスティックなモーメントを、そういう気持ちになる映像や音楽や言葉の力を、今また考えている。