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  映像研究

セーターを繕うように、雑誌のページを読み飛ばす。

 
・そこで今問題になっているのは例の『HANAKO for men』のあの「『ていねいな暮らし』を心がけている本当の意味で先端的なライフ・スタイルを体現してる30歳前後の男性であるところのあなたが今必要としているあらゆる情報は全部この一冊の中に入っていますよ」という訳知り顔、得意げなかんじ、先回りしたと思い込んでるかんじ、想定内とか言い兼ねないかんじ、そんなかんじを感じさせないように感じさせないように作り込まれた風の、まったりとした、ほっこりとした、笑顔でオフホワイトの、なにか。



・入っているのだよ実際、全部に近い情報が。仕事帰りにちょっとスーパーに寄って野菜など買ってしまったならば、そこには「簡単おしゃれパスタ」みたいな記事がある。また週末の山登りの帰りにせっかくだからと思ってどこか寄ってしまったならば「八ヶ岳おしゃれスポット」みたいな記事もある。あるいは一週間くらい休みがあるので「どこか文化を感じさせてくれるようなところに旅行にでも行きたいなぁ」とか思ってしまったならば「沖縄おしゃれパワースポット」みたいな記事だってあり、更にふと一年先のこととかを考えて「自分にはもっとやれることがあるのではないか」などややこしいことを考えてしまったならば「習い事でおしゃれ自分探し」みたいな特集すら組まれる。



・恐しくないですか(疑問形)。私恐しいです。名指されることの恐怖、またはカテゴリーに分けられることの居心地の悪さ。そしてもしもそのカテゴリーの中で「いや、ちょっと僕は違うんで…」と席を立とうものなら「わかってます、わかってますよ、あなたが個性的でクリエイティブな人だってことは、よーくわかってますから、ね、、」とかなんとかやんわりと肯定されつつ、もと居たホワイト・キューブに戻される展開、そのような物わかりのよい対応も含めてやっぱり「お前もHANAKO for men」ってことにされてしまうような2010年だとしたならば、どうしよう。そんなことを考えると夜も眠れません。当然弁当なんて作れません。



・しかしところでもしかするとずっと前から女性は、男性と比較して圧倒的にそういう「名指し」や「カテゴライズ」に晒されてきたのかもしれなかったという、少し真面目なこと?を考えたりもするのです。「○○系男子」とかユーモアとしてでもアイロニーとしてでも使われたくないなぁ、だって面白くないから、と思ってしまうようなことを通じて、単純に「ああ、言われる内容に関わらずいい気持ちしないなぁ」というような気分を味わうことが出来るというのは、学びの質としては良いのかもしれない。自分がされて嫌なことは人にはしないということは道徳や倫理の基本。あるいはまた本当に相応しい「名前」と、カテゴライズを軽く飛び越えてしまうような理想的なコミュニケーションのイメージを思い描く良いきっかけにもなる。



・そしてところで「おしゃれ」を連呼していたその「おしゃれ」は何かという話を全然飽きずに帰りの電車の中でずっとしていた。「八ヶ岳おしゃれスポット」の「おしゃれ」は、西東京の一部で飛び出したテーゼ「おしゃれ止まり」のような意味で使う(=当たり障りない?)「おしゃれ」なのですが、本当のお洒落(便宜的に漢字で表記)はそういうことでもないだろうと思う、というかその意味の「おしゃれ」をどうずらしたり、どうはぐらかしたり、どう意識的に無視したりするのか、ということがお洒落がお洒落である所以ということなのであって、毒にも薬にもならない情報はお洒落とは全く関係がない。毒も薬も、プラシーボも、スパイスも、ときにジャンク・フードも存在する、そのバランスの感覚についての問題なのだった。



・例えばそういう話を全然飽きずにまだしている。そもそも『HANAKO for men』ではなくて『MEN for HANAKO』なのではないかとか。『注文の多い料理店』的な意味で。山猫としての花子。花子って誰だ。