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  映像研究

切羽

 
・201809080916。羽を切ると書いて切羽。それが詰まるとは。朝から中央図書館。土曜日なこともあるのか既に多くの人が何かをしている。その様子はちょっと良い。集中して何かをやっていることが。以前に学生とか生徒とか呼ばれていた頃に一切の自主的な学習をしなかったから(狭義の)図書館とか参考書とか問題集とか全然無縁だった。そんな自分がしばらく時間をおいて勉強のようなことをしている。遊びも労働も捨てて勉強をしているのは一体なぜか。


・作業が進んできたからなのか戯れに書くことがなくなってきた。「just do it」とかいう感じなのか。基本的に丸一日書く作業に関わる何かをしているから、他のこと、たとえば聴いた音楽とか見た映像から何事かを考えるというチャンネルが切れている。それでもtwitterのタイムラインなど見ながら、誰かがオススメしている何か、誰かが取り上げている何事かを知ろうとするだろう。タイムラインは細い糸のようなものでもある。


・それで今は新しいPOPEYEが既に図書館に入っていたからそれをパラパラしている。恐ろしく高価な服が恐ろしくカジュアルに紹介されているその醸しているイメージを恐ろしいと思う。一体何人のおしゃれな人が集まったら、このようなおしゃれな雑誌が出来上がるのか。しかもこれを毎月やっていることがまた恐ろしい。店に吊るされている服を見て触りたいと思う。そういう欲を小説の中で書いていたのは確か柴崎友香だっただろうか。


・季節が変わることは違う服が着たくなることでもある。POPEYEで「男性はパンツのシルエットが変わると軽薄に見える」というようなことが書いてあるが、それを理解しつつも、そのような意味で少し軽薄でありたいと思う。「やらされている感」は格好良いことともお洒落ということとも少し違う魅力である。諸々立ち上がったので中断。