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  映像研究

2010年9月末の東京。

 




・新刊書店で見かけた『MUSIC MAGAZINE』の表紙にはキリンジ。おっと思って手に取って、考えてみれば自分にとってデヴューからリアルタイムで、わりと、かなり、ほとんど聴いているポップ・ミュージックってキリンジ以外ないのだよなと気がついて立ち読みにて熟読。一般的にはやっぱり『3』なのかな。そして曲単位では『エイリアンズ』が真髄っていう解釈なのかな。もちろんそれはその通りだと思いつつ、しかし個人的には『Drifter』という曲には思い入れという以上の思い入れがあるのです。そんな思い入れもあったからこそ、週明けにこの映像を見て色々なことを思った。(そしてその一部として考えた00年代J-POPの考察的な部分は別のファイルとして保存して)それで宮下公園の問題について。先週末のアクションを遠くから眺めていたことをちょっと残念に思う。というか行ってみることでもっと考えられることがあったかもしれないという意味で本当に勿体なかったと、そんな風にも思ったのだった。



・それにしたって実に素朴に、どうしてこのような「変なこと」をするのだろうと思う。変なこと、というのは「公園を買い上げて商業施設にする」ということで、企業の方針を擬人化(って言うのかな?)するのもアレだけれども、この場合非常に素朴にナイキという企業はとても「変なこと」をやっていると感じるのです。まず、この計画のどこが「面白い」のか、あるいは「かっこいい」のか全く理解できないということが不思議で、さらに企業としても特別「面白い」とも「かっこいい」とも思ってないんだろうな、という雰囲気が漂っているところに(私見です)絶望的な格好悪さを感じる。



・そんな状況に対して、例えば自由な発想の「建築探検家」のような人とかだったら、そんなに格好悪い公園なんてさっさと放っといて多摩川の河川敷とかで遊べばいいじゃんと言ったりするかもしれないのだけれども(完全に想像です)、個人的には公共の場所について考えるということが、そのまま他の人の立場に立って考えてみるということでもあるような気がするのだし、少なくとも自分はある場所に対して持つ拘りのようなものを切り捨てることがどうしたってできないのだから、そこで「別の場所でも構わない」とは言いづらい。ゆえに不合理であろうと、勝ち目が少なかろうと「その場所を譲らないための試み」が実践されるべきだと思う。だから、思ったのだけれども具体的なアクションを起こせなかったということを、少し悔やんでいる。2010年9月末。