・ipodでキリンジの『あたらしい友だち』を聴きながら移動している。初夏にダウンロードした曲をあらためて今のこの秋の日に聴いている。北の町からやってきたあたらしい友だちについて歌うその歌を聴いていると何とも言えない気持ちになる。「君はひとつも悪くない」。電車の中でその歌を聴いてちょっと神妙な気持ちになりながら電車の中で寝ている人を見る。電車の中で寝ている人を見ることが好きだ。安らかなように見える午後の車両は確かに日常。そしてしかし気がつけばフェスティヴァルは数日後に迫っていることを思い出して震える。大抵このように何かの直前になると一体自分がそもそもどういったことを考えてそのようなことを構想したのかわからなくことも面白い。わからないままに普段ならば決して買わないようなものを購入したり、普段ならば決して行かないような場所へ行ったり、普段ならば決して使わない種類の言葉を使ったりすることもそれはそれで面白い。ハレの場だ。色々と思うことはあるけれども、例えば「このタイミングで『移住したい!』みたいな特集を組んでおきながら記事ではほとんど(写真家とモデルの夫婦のページ以外まったく)原子力発電所の事故にも放射能にも触れない雑誌」のような態度の意味がわからないことだけは確かだ。きっとこのようにして「積極的に物事の肯定的な面を見る」ということを悪用したような言葉が、表現が、商法が溢れるのだろう。「九州の野菜は美味しい」とか「子供を海外留学させるのって(やっぱり)言いよね」とかそういう種類の雰囲気が、いつか、きっと、もうすぐにでも、都市に、情報メディアに大量に流れ出るのかもしれない。そのとき、例えば、自分はどこにいるだろうかと考える。そのとき考えたことを忘れない。TPPのことを忘れていない。今年初めて息が白くなったことや夜の空にわりとたくさん星が見えたこともなるべく忘れない。