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  映像研究

3月20日であることの意味を考える時間、懐古する季節

 
・ある日付を覚えているということ。たとえばそれは3月20日。1995年の3月20日は、一般的には地下鉄サリン事件の起こった日であり、1979-80年生まれの学年にとっては中学校を卒業した日であったりもするのです。日付から出来事を思い出して、そのときの場所や春らしい靄がかった風景などを思い描いたならば、それはいつでも思い出した今の光景と響き合うのだけれども、しかしそのときその場所にいたはずの自分は完全に子どものような者であったことを思うと変なかんじがする。過去の風景はいつも今の風景と繋がっているけれども、今の自分はそれ以前の自分とは完全に切り離された別のものだ。石とかを見ているとそう思う。



・それで2010年の3月20日。前日から、厳密に言うと前々日から、長野県は松本市へネイチャー・スキー(2年前とほぼ同じコース)をするために出かけていたのです。行きの車中は深夜の中央フリー・ウェイで、90年代J-POPを流しながら、ヴァーチャルな合同コンパの話で盛り上がったりなどして。その様子を時折携帯電話から呟いたりなどして、しかしなんだな、人と人との巡り合わせとは面白いものだな、1年前ならばこんなパーティでスキーに行こうだなんて思いもしないし、そもそも数年前ならば、ネイチャー・スキーそれ自体が余暇の過ごし方として選択肢に入っていなかったのだし、更に言えば「余暇」という考え方すらも…と、際限なく懐古する春。これまで無意識に禁じていた(ということに最近気がついた)この数年の出来事を思い出すということを、最近しているのはつまり、自分が考えていることのベースが緩やかに変化して、別のものになりかけているということなのか。そうなのか。そうでもないのか。



・それで3月20日といえば、まったく個人的には3年前の2007年の3月20日に、もうあまりにも自由業の仕事がなく、自由を持て余した結果、ここはひとつ自由をはき違えてみようと思って、偶然目にした自由で楽しそうなブログを読んでいたところ、こんなかんじだったら自分にも「備忘録」というものが綴れるのかもしれない、と思い至って(というのは大袈裟で、実際のところ特に思いもなく)言葉を並べてみたりしたのでした。それはちょうど今から3年前の出来事。並べた言葉を自分が見ることができるということと、人からも見られるということ、そして言葉にリンクが貼られるということは、その当時非常に奇妙なことだと思えて、それは未だに奇妙であり続けているものの、しかしそれは今はもっとシンプルに「便利なこと」であるという認識を持っている。



・そのようなことをちらっと考えたりもしつつ、そしてそのようなことは主にコミュニケーションの問題だと思うのだけれども、そういったこととは別に、出来るだけ早急に考えなければいけないことがある。面倒くさいことを、面倒くさい方法で、面倒くさいルートで、辿ってみること。ひとつ圧力が下がると、その反対の力も弱くなって、その結果として、一見関係ないように思われるいろいろなものの、定められていた方向が不明瞭になる。そこで必要になるのは、クライミングで岩壁に登るときに打ち込むボルトのようなもの。(クライミングはしたことがないのですけれども。)そのような現在地点からは更にいろいろなルートが見える。