&

  映像研究

何となく曖昧な記憶について

 
・渋谷TSUTAYAに行く。探していたDVDを探してもらったのだが見つからない。「『no dead found』というものなのですが…」とはっきり綴りまで書いたけれど、それは『be found dead』の間違いだった。何となくぼくはそういう間違いをよくする。そして現代ではそういう曖昧さに対してgoogleが「もしかして…?」とかいう提案をしてくれるので、そこらへんすっかり適当になっているけれど、もちろんTSUTAYAの店員さんは人なのでそこまでデータベース化されてはいなかった。しかしそれがそもそも文法的に間違っていたのならば、そこに対してつっこんでくれてもそれはそれでよかった。


・そんなわけで、遊園地再生事業団宮沢章夫の『be found dead トーキョー/不在/ハムレット [DVD]』を観る。しばらく観ていて「あれ、これ一度観たことある」ということに気がつく。そして綴り以外の色々なものも曖昧だったことに気がつく。ところでぼくは「一度観たけれど詳細は覚えていない映像」をもう一度観るということが何となく好きだけれども、これは曖昧な記憶で生きていると、時々このような種類のあまり生産性のない楽しみを生む、かもしれないというはなし。