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  映像研究

春のことをイメージする冬

 
・雪が溶けて、川になって、流れてゆくかもしれない日々。日々面白おかしく業務を行っているとはいえ、全く同じようなスケジュールがじっとりとダイアリーを浸食したならば、それはなかなかにハードだ。頭やらからだやらがぼんやりとしてきて仕方がない。ならばせめて健康だ。なるべく暖かくして生活する。バランスのとれた食事を心がける。ビタミン的なものとか。



・そういえば自分にとっての今年の目標、目標というかモットーというか、意気込みというか何というか。「使うべきところに貨幣を使う」というものがあり、ここ数年「物を購入するハードルを上げる」という試みは続けているのですけれども、そのハードルはそのままに、きちんと必要な物を購入するということをしていきたい。そんなわけで差し当たって購入したのは「某Adobe社のソフト」だ。一般的な価格で購入すれば、ちょっと頭がおかしいんじゃないかと思うくらい高価な商品なのですが、それを「アカデミック版」という素晴らしい制度を利用して(比較的/あくまでも比較の問題です)安価に購入した。色々入っていて福袋みたいだ。今年はそれらを用いたりもしながら色々な新しいイメージを作ろうと考えている。それにしても自分でお金を払ってソフトを買う日が来るとはなぁ。



・冬期労働期間につき、部屋の中の書物や、街の古書店や、新刊書店からも遠ざかっている日々。普段から「積ん読」する(使い方あってるのか?)つもりで本を購入してはいるものの、やはり日々の生活に読書の余裕が想像できなければ、やっぱり本を購入することも憚られてしまうのだなぁ。そんな中でも例えば『spectator』の新しい号をバックに潜ませて少しずつ読んだり、あるいは高城剛という人の『オーガニック革命』という新書を数時間で読んでみたりとかしている。ちなみに『オーガニック革命』に関しては、根本的なスタンスには大きな疑問を感じながらも、やっぱりライフスタイルに意識的になるということには興味を持たざるを得ません。「90年代、毎週のように買い漁っていたスニーカーやシャツは、20世紀のいい思い出だ。」っていうところとか。確かに。そんなかんじだと思う。



・そのような日々に、今は慌てずにこっそりと「春になったらやりたい」、いや、恐らくやるであろう事柄のリストを作ってみたりしている。「大掃除」「模様替え」といった漠然とした項目から「珈琲豆を買う」「パンを買う」というような超日常系/具体的な事柄まで。「そんなものは今すぐに買えばいいじゃないか」と思われようが、それを購入したところで、それを使い切るのに適切な期間の中で使い切る自信がないのです。そうして非常に些細な事柄までを想像していく。理想の一日を想像する。あるいはそれは「風邪をひいて一日だらだらと読書している」ような日々のことかもしれない。また、春になったならば、学生でなくなった今でも「何かを初めてみよう」などとうっかり思ってしまうことも不思議だ。そんなものも加えたならば、ほとんど無限にリストは増える。思いつくままに、リクリエーションのような、たとえそのときが来たら義務になっても、思い描いている今は夢のような未来のようでもあるリスト。

  • Tシャツのデザインを考え、Tシャツを作る。
  • コインランドリーで毛布を洗う。
  • KARAOKE
  • カーテンを洗う。
  • トレッキング・ブーツのソールを張り替える。
  • ハードディスクの写真の整理。
  • クローゼットの洋服の整理(衣替え)。
  • プランターに野菜の種を蒔く。
  • 観葉植物を新たに購入してみる。
  • 90年代に撮り貯めたVHSの上映会(主にKO関係)。
  • 90年代の雑誌のバックナンバーからめぼしい記事を探す(主にKO関係)。
  • 09-10シーズン最後の焚き火をする。
  • 一日断食。
  • 一週間だけ肉を食べない。
  • 一ヶ月ほど玄米食
  • プールに通う。
  • 朝走る。
  • 柔軟。
  • 山菜が採れそうな場所をリサーチする。etc.