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  映像研究

1月が終わって、すると2月になる。挑戦はつづく。寒さもつづく。

 
・新しく本屋に並んでいたクウネル(毛布が表紙の)に載っていた「焼きみかん」を実験してみたりなどしながら、このしばらくの間に考えたことを思い出したりしながら書き記す備忘録。毎日労働することに慣れていない自分ならば、一般的に人はどのように余暇を楽しんだり、その余暇の楽しみを備忘録したり(しかもコンスタントに)できるのかなんてまるで見当がつかない今日この頃。みかんは因みに焼く必要はないという自分にとっての結論。



・土曜日の夜は高尾のホームにてホーム・パーティー。山部の2010年の活動草案をアレする…というのは完全な名目上のことに過ぎず、実際のところ「たまには、まぁ、鍋でもしながら、飲んだり、食べたり。」という例のアレです。昨年同様にこのタイミングで西の方よりいらしたSさんのバースデー風アトラクションも含めつつ、夜は過ぎる。それにしても現在、おおよそ30才であるところの私たちが集まるところには、どこで/誰であろうが必ず「真剣30代・暴動必至のチケット争奪戦」の話題がある。そして遂には「私の方が彼のことを好きなはずだ」「いいや、俺の方が」という流れから、世にも恐ろしい難易度の「90年代・カルトQ」が始まってしまうことも必至。最終的に「ロッキンオン・ジャパン」とかの話題になることだっておぞましい。というような説明にイニシャルすら必要としないところも不気味だ。



・そんな恐ろしい夜もほどほどに、翌31日の日曜日は国分寺をちょろっと行ったところにある某美術大学へ。こうして母校の卒業制作の展覧会へと毎年行っているのでした。今年は昼過ぎにようやく着いたのだから、あまり集中的に観賞することはできず。それでも(もう直接は関係がないのですけれども)後輩たちの作品から考えさせられることは多い。ことさらに「ジェネレーション特有の問題設定」とかなんとか見立てるのは止めようと思いながらも、それでも同行したSさんともある程度共通した意見だったので、それはやはりそういうことなのかもしれない。作品の発想の仕方が違うのではないかということ。「方法論(システム)の不在」「時間的にも空間的にも、要素が『偏在』しているさま」「コンセプトからステートメントへ」「主語=私であるような作品」「テクノロジーDIY的な使い方」。色々考えつつも、印象としては好ましい作品が多かったように思う。



・その後夕方からはSさんと母校にて合流したI君とを誘って、某小金井のカレー屋さんにて開催された「ド富士ロックフェス」というDIY精神が滴り落ちる(熱すぎて)イベントへ遊びに行く。去年の夏に吉祥寺にライブを聴きに行ったアーティストが出演するとあって喜び勇んで向かったならば、普段はほとんどカウンターのみの店内は大変なことになっていた。それでもビールを飲みつつ、カレーを食べつつ、カレーパンも食べつつ、またビールを飲みつつ、エシャロットを食べつつ(好物)、なぜか「ほたるいか」も食べつつ、気持ちのよい、多分にセンチメンタルなところもある音楽を聴いていた夜。何だか全体的に妙な夜だった。