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  映像研究

広告・批評・放送

 
・もうすぐ休刊になってしまう雑誌『広告批評』をこの何号か「もうすぐ休刊だから」と思って買っている。もともと『広告批評』は「結構好きな」「ときどき買う雑誌」のひとつだった。とは言え特に最近は「アートディレクターのお仕事拝見」的な特集が多くて、そういうのはどうもなぁ…と思っていたのも事実です。むしろぼくが楽しみにしていた/喜んでいたのは、そういうものではなくて「憲法」とか「戦争」とかの、一見すると全然『広告批評』ぽくない特集の方で、そしてそこに違和感を感じつつも、微妙なバランスで成立しているように思える、そういう雑誌のスタンスにとても興味があった。たとえ(もしも)そこにニーズがなかったとしても『広告批評』という雑誌がそういう特集をすることは、まるで「広告」を「批評」するからには、避けることが出来ない、というような、時々そういう言葉を吐き出さないと続けることが出来ない、というような、何だか切羽詰まったような、割り切れないものがあるような、そんな印象を持っていた。そして今、そういう雑誌がなくなる、ということは一体何を意味するのだろう。


・ちなみに今月号の特殊は「テレビのこれから」。ある意味では「広告」なんかよりはっきりと、その存在が急速に相対化されていくメディアとしての「テレヴィジョン」について、いわゆるひとつの有識者が各々考えを述べているのだけれども、予想通りに、予想以上に、今現在すでに「テレビを見ていない」あるいは「テレビのつまらなさに呆れている」という意見が多かったように思う。しかし、そういったいくつかの意見を集めることで「こんなに支持されていないのに存続しているテレヴィジョンの構造のいびつさを見る」というようなことは、何というか当たり前すぎて、それはそれでつまらない(つまらない、というか端的に「そう思わない」)。


・自分にとって「テレヴィジョン」は多分、面白いとか面白くないとか、インターネット/パソコンとの比較とか、そういう種類のものではない。「テレヴィジョン」は、そうではなくて「あるトーン」のような何か。一人暮らしの現在の家に「テレヴィジョン」がない理由はざっくり言って「あると怠ける」程度のものだけれども、その分実家にいるときは物凄く「テレヴィジョン」を観てしまう。そのような意味でそれは「実家にある情報」なのかもしれないと思う。「実」の「家」としての「実家」、あるいは「家庭」「家族」的なものに向けて送り届けられるべき情報を運ぶメディアとしての「テレヴィジョン」、それは同時に「テレヴィジョン」が運ぶ情報が「完全に安全なもの」であるということを意味しているのではないかとも思う。(これは完全に想像だけれども)昔「テレヴィジョン」の放送が始まった直後、それは「大人」のためのものだった。しかしある時期からそれは何となく(成り行き上)「若者」のためのものになった。そして現在それは(またも成り行き上)「子ども/家族」のためのものになっている、というそのような仮説を立ててみるのはどうだろう。そのように考えると、例えば「若者」という自意識を持っている人間にとっては「テレヴィジョン」とは「今まさに通り過ぎていったもの」ということになって、今現在それはどうしようもなく「ナシ」であったりもするかもしれない。


・「テレヴィジョン」に関して、今現在は全く観ないのでよくわからない。それでも「テレヴィジョン」がとても面白いものだったことを自分は知っている。そのことを、その感覚を、「テレヴィジョン」とは全く違った(ちなみに関係ないけど「広告」とも違った)場面で活かしていきたいと思う今日この頃。ちなみに唐突だけれども、自分が最も圧倒的に影響を受けたテレビ番組は何だろうかと考えてみると、あっさりと答えが出た。それははっきりと『アメリカ横断ウルトラクイズ』だったと言える。人生の大切なことのほとんどは『アメリカ横断ウルトラクイズ』から学んだのだ、とかって言えば、それはあまりにも頭が悪そうでしょうか。でもそれくらい『アメリカ横断ウルトラクイズ』が持っていた言葉の感覚やユーモアの感覚、また「ある言葉を発音するときの緊張感」のような感覚は、自分のベースになっていると思う。当時自宅(実家)がビデオデッキを購入したのは、ぼくがそれを『アメリカ横断ウルトラクイズ』のために強請ったからだという記憶もあったりなかったり。一年に一度の『アメリカ横断ウルトラクイズ』(5週連続で放送)を、録画して、文字通り「一年中」観ていた小学校5年生の頃。問題と答えを(意味はわからないのに)完全に暗記していたあの頃。それはだってもう次の年の『アメリカ横断ウルトラクイズ』の放送に備えていたのです。特に13回は最強、個人的に当時のアイドルは長戸くん(立命館)でした。