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  映像研究

『朝まで生テレビ』のために実家に帰る/ハード・コアな思想書につい

 
・週末であるところの金曜日。定例の業務を終えてその足で実家(東京都北西部)に帰郷する。タイトルの通りなのですが『朝まで生テレビ』というテレビ番組を急に観たくなってしまい、とはいえテレヴィジョンを所有していない自分としては、朝まで友だちの家で生テレビ視聴というのもあまりにも迷惑だと考えて、というよりも近しい友人はそういえば揃いも揃ってテレヴィジョンを所有していないじゃないかという事情もあり、そのような理由でわざわざ帰郷したのでした。


・それにしても『朝まで生テレビ』を朝まで生で視聴するのは初めてかもしれない。せっかくなのでVHSに録画しながら視聴する。そもそも今回に限って観てみようと思ったのは、当然のことながら出演する人が気になったからであって、東浩紀という人の話はトーク・イベント的なものや雑誌などで聞いた(読んだ)ことがあるし、雨宮処凛という人や赤木智弘という人についても一応は知ってたのだけれども、その人たちが「朝まで生テレビ」に出演するというのがどうにも想像できず、しかしそれは自分が知らなかっただけで今までにもあったことなのでしょうか。そしてその中でも特に東浩紀という人と『朝生』の相性は、何というか相当に面白そうだった。


・内容に関しては…特にそれほど何かが討論されていたとも思えず(面白くなかったということではないです)、子ども頃に親につき合ってチラ観した『朝生』の印象そのままのエキサイティングなエンタメに別の種類の人が数人迷い込んでしまったような何かだったけれども、しかし随所に「ベーシック・インカム」なんていうナウいワードが話されたり、あるいは「結局00年代における堀江なにがしという人は何者だったのか(特に若い世代にとって)」というような話題が挙ったりもして、そこいらへんはもちろんなかなかに興味深い。個人的には、これもよくあるような議論だけれども「(若者の)不満」というようなものと「(若者の)不安」というようなものを何となく並列に扱うことで、ちょっと面倒くさい人が面倒くさいことを言い兼ねない状況を作っていたように思う。それは例えば「不満」な人は株式会社を設立するかもしれない。でも「不安」な人は株式会社を設立しないと思う。



・ところでそんな『朝生』と関係あるかないかは微妙なところではあるけれども、少なくとも現代的かつ緊急的なトピックスであるには違いない書物について。今週の後半一気に読んで「うわぁこれは今年読んだ本の中で一番凄い本だ」と思ったのは「岩波ジュニア新書」から出版されている、大野和興という人によって書かれた『日本の農業を考える (岩波ジュニア新書 (466))』という本で、最近自分の周りでも「農業」「半農」的なものについて話している、あるいは考えている人が増えていることもあって、これはちょっとひとつ自分もとりあえずは書物でお勉強してみようと思い読んでみたのでした。そしてそういう「何かをお勉強する」ときに「岩波ジュニア新書」はとても素晴らしい。何が素晴らしいかといえば、それが全然「ジュニア」でもなんでもなく、ウルトラ・ハード・コアな思想書でもありうるということです。


・目次だけ見ても1章から「日本農業のいま」「現代史のなかの農業」「グローバル化の時代の農業」「食の安全と環境問題」「もうひとつの農業をつくる」というようなドラマティックな内容で、これはもちろん「農業」についての極めて冷静かつ真摯な態度の書物であるけれども、同時にその「農業」という言葉の代わりに「経済」や「社会」「文化」を代入することもできるように思う。あるいはちょっとトンデモ寄りなテキストジョッキー的には「創造性」や「コミュニティ」あるいは「(生命の)倫理」なんていう読み方だってできるはずなのであって、しかもそれが世にもわかりやすい言葉で(自分が読めるという基準)、かつ非常に身近な生活に関わってくる問題として書かれている点も素晴らしい。本を読んでいて面白いのはこういうときだと思う。ひとつは知らなかったことを知ることができたとき。そしてもうひとつは自分を動かす言葉に出会ったとき。その両方が詰まったこの本は最高にオシャレかつハード・コアな思想書であるということを書き記しておこうと思ったのでした(テンション上がりすぎた)。

人間の営みからみた自然と、そうした自然に人が働きかけ、その結果生まれた生態系を、ここでは風土と呼ぶことにします。言いかえれば、自然と人間の共同作業が生んだ生態系ということになります。自然は地域によりさまざまな現れ方をします。気温や湿度、雨の振り方、風の吹き方、土の状態や性質、すべて異なります。こうして地域ごとに自然と農業のそれぞれの関係が生まれ、そこから「それぞれの農業」が成立します。世界には、単なる「農業」があるのではなく、「それぞれの農業」があるのです。

経済のグローバル化は、地域と農業に新しい現実を付け加えました。市場競争が地域を直撃し、外資系を含む大型小売店の出店による商店街の衰退、衣料や電機・電子機器、自動車部品など地方に展開していた工場の海外移転と、それにともなう働き場所の喪失、農林水産物の輸入増による農林漁業や食品加工業の不振、こうした地域経済の衰退がもたらす人口減と高齢化、などが急速に進んだのです。
いっぽう農業は、効率化をせまられるなかで風土や地域の特性を捨て去って、単品を大量生産する方向が急速に進みました。画一的な農業どうしが競争すれば、もっとも画一的でもっとも効率的なものが勝利します。こうして世界中にアメリカの農産物が行きわたり、それぞれの地域にあった伝統的な農業は駆逐されつつあります。
こうした現実を見すえると、農業の再生と創造のための道筋が見えてきます。農業に風土性とあわせて地域性をとりもどすことです。しかし、農業を地域の社会経済関係のなかに組みこもうにも、その地域そのものがこわれてきています。地域の再生・創造と農業の再生・創造は一体として取り組まなければならないという課題が、ここから生まれてきます。
どちらも『日本の農業を考える』大野和興著/岩波ジュニア文庫の第5章「もうひとつの農業をつくる」より