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  映像研究

たった100円分の備忘録

 
・これはたった100円分の備忘録。そしてふいに思い出した些末な備忘録。それは先週はじめの「奥多摩トレック2DAYS」の時のこと。初日の登山の前に「今日はすっかり下山してからキャンプ場にテントを張るので、キャンプのための道具は重いからコイン・ロッカーに預けておこう」ということになり、コイン・ロッカーにコインを投入した時のこと。


・その日山に登るぼくとYくん&Wちゃんの3人のキャンプのための道具は、テント、寝袋、マットに加えて焚き火のためのさつまいも、そしてりんご、あと無洗米etc...など、思いのほか沢山あったもので、ギリギリではあったけれどひとつのロッカーには収まりきらなかったものだから、何となくの流れでぼくの荷物をひとつのロッカーに入れて、Yくん&Wちゃんの荷物をひとつのロッカーに入れて、そしてさて「いざ閉めようか」というところでぼくの財布には小銭が200円しかなく、そしてそのコイン・ロッカーはひとつにつき300円だったものだから、そこで2人のどちらかに「100円を借りた」。


・そして下山後にその荷物を取り出すことになったとき、ああそうだと思い出して借りた100円を返そうと思ったところ、Yくんの口から出たのは信じられない言葉だったのでした。「3人で2つのロッカーを使ったんだから、ひとり200円でいいよ。」ああそうね、そういうもんだよなと一瞬思ったものの、ちょっと考えてむしろやや意味が分からなくなり(自分は何かにつけてよく意味が分からなくなる)、分からなくなったなりにぼくの口からこぼれ出た言葉は「あんた政治家になった方がいいよ!」というものでした。



・これはたった100円分の出来事だったのだけど、ぼくはここには何か(とてつもなく大袈裟ですけれど/言うなれば)「平等」に対するアイディアというか、想像力のようなものが働いているように思ったりしたのでした。あるいはこれはタクシーの相乗りのような場合のシェアー感覚/裏技感覚とも似ているのだけれども、コイン・ロッカーに荷物を預ける場合、ロッカーという箱に対して一定の金額を払うという意識があるので、また少し違う。更にこのケースの場合「Yくん&Wちゃんがカップルであること(それを疑似家族ということにしてみよう)」も心理的には関係があるだろう。たとえば箱を、そこに収まるべき荷物(人間)との関係の中で「大きさがあるもの(=実体があるもの)」として強くイメージするか、それともそのような視覚的なイメージではなく「荷物を預ける」という機能性をこそ考えるのかという問題で、その違いにはきっと、多分、もしかしたら、何かがあるのだと思う、ような気がする(弱気)。


・いずれにしてもこれはたった100円分の出来事だったからこそ、そのようなことを考えられたのだと思う。このようなお得感をそのままの感覚でもっと大きなものに(「箱」を「家」だと)接続することはどう考えても危険だ。それはきっとコミューンだか過剰に計画的な経済だか、分からないけれどもとにかく「お得」どころか大変面倒な発想を(論理的に)生み出しかねないということで、それは自分にとってはリアルに笑えない冗談だ。


・今やどうやら「経済」が最もトレンディで、圧倒的に「貨幣」がアイドルであることに、誰もが誰か気づき始めた2008年の現代なのだから(卑近なところだとワイドショーでは「12000円と20000円と1800万円」の話題ばかりだ)、自分も例外ではなくここのところ日々「お金」について考えていたのです。そしてこの備忘録の主旨は「定額給付金」を少しでも多く貰ってやろう、そのための根拠を考えてやろうということではもちろんなく、かといってそれを突っぱねる勇気もなく、しかし意外と早く、しかし全然別の角度から「ベーシック・インカム」というものがやって来たのかも?とかなんとか思ったこと、そして今後もますます誰もが誰か「経済」に夢中になっていくだろう、という予感?によるものだったのでした。