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  映像研究

今そこにあるものとしてのキャンプ、共和国的なもの、大雨と青天。

 
・ある集まりを定期的に継続していくということ。「アーヴァン・キャンプ」というイベントを毎年秋に行うようになって実に今回で4回め。当初は職場のチーム・イメージングの慰安旅行的な企画だったこともあり、ある種「消費的」というのに近いような祝祭ムード満載、伊勢丹地下で買い物しまくりであったのだけれども、そのニュアンスを残しつつも去年今年はまた違った「クオリティ・オブ・ライフ」を体現する極めて実験的なアクティヴィティになりつつあるのです、なんて言ったならばそれは何か小難しいように思われるでしょうか。しかし結局のところそれは「食べたいものを食べて」「飲みたいものを飲んで」「作りたいものを作り」「聴きたい音楽を聴いて」「着たい洋服を着る」「眠りたければ眠る」という約24時間でしかないのです。



・去年までは山梨県は西湖のほとりにある、周りの風景もきれいでとてもリーズナブルなキャンプ場で行っていたのだけれども、今年に限ってはもう少し近い方が望ましいということから思い浮かんだのは、9月に別件で視察に行ってきた藤野にある廃校舎を活用した研修施設だったのです。校庭にテントを張って焚き火をする、眠りたくなったら音楽室でピアノを叩きながら眠る、なんてそんな夜は最高じゃないか、と思いついてしまってキャプテンのSさんに提案したならば即採用。ちなみに一昨年まで同じ職場で働いていた後輩ガールに「今年のテーマは何ですか?」と聞かれて迷った結果「共和国!」と答えたならば、返信されてきたメールには「火炎瓶ってことですか?」と書いてあったのには苦笑。どういう思考回路なのだろうか後輩。



・2日の昼過ぎに到着して先乗りチームで珈琲とビスケットの午後を過ごしたり、校庭にテントを張ろうとして施設に併設されている保育園の園児に邪魔されそうになってわいわい遊んだり、当然のように劇団の公演のような集合写真を撮影したりしていたならば、すっかり暗くなってくる。後から合流したチームを待って夕食。「打倒『ku:nel』」を合い言葉にして「クリームシチュー」を制作してパンやワインビールとともに食す。一番飲みたいビールを飲む。何だかわからないがとても美味しい岐阜辺りのハムだって食べる。と夜も更けてきたところで雨が強くなって施設内に退散。天気ばっかりは仕方がない。おのおの自由に食べて自由に飲む。自由に遊んで眠くなったならば自由に就寝。翌朝は本当に雲がひとつもない青天。シチューののこりを使ってグラタン風に。天津を作り始める輩もいる。北風にはチャイ。そして青天。



・そうしてあっという間のちょうど24時間の「共和国」は終了した。その時間で得られた「クオリティ・オブ・ライフ」をどう日常に反映させるかということが明日からの課題だと思う、まるで冗談みたいな、しかし本当に本当のことなのだと思う。そして今年は結果的に4年めにして今までで一番リーズナブルなアクティヴィティだったのだけども、しかし「何かを我慢した」という感覚は全くなく、むしろあらゆる望ましい感覚を志向した結果として、非常に安価であったのならば、『オシャレであればオシャレであるほどお金を使わなくなる』『面白ければ面白いほど貨幣の価値とは関係がなくなっていく』という仮説を立ててみることだって必要なのではないか。そしてそのような価値観を、限定的な時間や空間、つまりアクティヴィティのなかで実践してみることが、あるモデルになるのではないか。その方法のひとつとしての、贈与的なものとしてのキャンプについての備忘録。