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  映像研究

先週後半の備忘録。夏のような、水のあるプール、餃子と左翼

 
・気がつけば先週後半の備忘録。夏のような、夏ではない気候に中央線の、阿佐ヶ谷ー高円寺間に見下ろすプール(きっとあれは区民プールだろう)にはすっかりたっぷり水が張られて、これはまるで夏のような風景。仕事の合間をぬって「サマージャム08」が急務だ、とかなんとか言っている妙齢男子が今この瞬間にこの国のいろいろなところにいるに違いない。



・遡って4日(金)はひょんなことから月島での業務を終えて(悔しいかな予想していた通り)もんじゃ焼きでの打ち上げを断腸の思いでへらへらと断ったならば、地下鉄と私鉄を乗り継いで実家方面へ移動し、雷が光りまくる中、友人Yくん宅にやや遅れて(滑り込み)到着。やや遅れて「白菜を切り」「ニラを切り」「海老を叩き」「生姜を絞り」ビールなど飲みつつ、それらを混ぜて、それらを皮で包む。待ちくたびれてご機嫌ななめの三歳児をなだめつつ、焼き上がったのは午後9時半(ふつう三歳児は寝てる時間だ)。たとえばそれは「犬たちが吠える時にも恐れずに僕たちは餃子を食べよう」というようなフェスティヴァルだ。白菜とニラと生姜にはきっとある種の決定的な魔法がかかって餃子になるに違いない。27時近くまでかけて、ひとり30ケくらいその魔法を食い散らかし、ビールを飲み続ける私たちこそは、2008年の正しい大人の姿だと思いたい。


・時を進めて5日(土)は、そのままだらだらと友人宅にて夏休みのような素晴らしい昼。『王様のブランチ』という素晴らしいテレビ番組を観ながら、おなかが減ったら素晴らしい(小豆島土産の)素麺など食べ、それに飽きたらコンビニで素晴らしいアイス。「江戸時代の公衆浴場がいかに適当だったか」など適度にトリビアルな素晴らしく夏休みっぽい?話題をしつつも、しかし夕方からは一瞬だけ業務。そしてそれが終わったならば夜はジュンク堂池袋店に移動する。

超左翼マガジン『ロスジェネ』創刊記念
われわれサヨクの存在証明 ―国家権力に抗うプレカリ×アート―
萱野稔人浅尾大輔大澤信亮増山麗奈
■2008年7月5日(土)19時より ジュンク堂池袋店


・言うまでもなく「書店のトーク・イベント的なもの」が面白くて仕方がない自分としては、そういえば去年の今頃は「アフター・スクール・スクール」をコンセプトに、雑誌『フリーターズ・フリー』のトーク・イベントにだって来ていたことを思い出す。「労働」や「雇用」の問題が(ある程度)一般的になってきた今だからこそ、それらを、そのアクティヴィティを抽象化させるかたちでの「左翼」について考えてみるということにはもちろん意義を感じつつも、しかしやっぱり、右と左があり、というような前提からでは、少なくとも自分は、実感をともなった何事かを考えるのは難しいというのも(半分ユーモア・半分アイロニーで「自称左翼」と言ってみても/そしてそれくらいが限界だ)実際のところだ。


・そしてまた選挙ともなれば、色々考えつつも「消去法以上積極的支持未満」で、現行で「左派」と呼ばれる政党に一票投じたりすることと、アイデンティティとしての「(自称)左翼」というものは違うのではないか? いや〜それは違う、絶対違う、もう全然違うなぁ、こりゃ。というようなことを考えはじめると制作なんて手に着かない(というところまでいくとそれはもちろん完全な言い訳だ)自分としては、このトーク・イベントで、主に後半に話されていた「何をもって『左』とするのか」という話題は、ただの言葉の定義の問題ではなくて、非常に実際的な事柄だと思う。


・そして大澤信亮という人が話していた「私的所有の放棄」を、国家とも、グローバルな資本とも違ったレベルで想像すること、についてはもう少し聞いてみたかったし、萱野稔人という人が整理してくれた(ように思った)「『左』の定義を『自由』と『平等』に価値をおくこと、だとするならばそれを両立することが困難であるのが現代であるのではないか」というような問題の設定の仕方こそが、ある種類の議論のスタートになるような気がする。とかなんとかぼやぼやと考えながら、あまりにも蒸し暑く、山手線にも副都心線的なものにも乗る気がしなかったものだから、自分はその横を(その上を)行くことにして、夜の明治通りを池袋から新宿まで、歩く。


・たぶんこれはきっともうすぐ夏。当面「縦走」についてのリサーチ。