・たとえばそれは6月の、ボタニカル・ライフ的なもの。適当に育てていた植物は、適当に育てているなりに、適当に成長して、それによって生活は変わる。バジルの葉が茂るのでパスタを作る機会が増え、ストレリチアの根は鉢を割らん勢いであるために、慌てて近所の園芸屋さんで大きな鉢を買い求め、トマトは背を伸ばすものだから、支柱を立てる。しかし今のところいっこうに花が咲く気配がない。
・あるいはそれは6月の、ブック・ジョッキー的なもの。よくわからない本から順に購入する。
『赤い自転車 (1972年)』萩原朔美
『ニューヨーク西85番通り (ダウンタウン・ブックス)』アラム・サロイヤン
『奇妙な果実―ビリー・ホリデイ自伝』ビリー・ホリデイ/ 油井 正一,大橋 巨泉 (訳)
『小田実の反戦読本』小田実
『はるかな町 (1975年)』三木卓
『世紀末は世紀末か』赤間啓之・いとうせいこう
『アート:“芸術”が終わった後の“アート” (カルチャー・スタディーズ)』松井みどり(紛失により再購入)
『島の旅―カラー (1969年) (山渓カラーガイド)』山と渓谷社
『Seattle/San Francisco』Ingo Giezendanner
『バベルの混乱―マスメディアは過激になれるか』粉川哲夫
『ミクロポリティクス―ポスト戦後政治の読み方』粉川哲夫
『ラディカリズムの果てに』仲正昌樹
・そしてそれは6月の、パーリー・ピーポー的なもの。しかしそれは音楽を聴いて体全体を動かすのではなくて、トーク・セッションなどを聞いてうんうんと首を動かしたりする種類の「アカデミック・パーティー」だ、とか何とか言ってみるのならば、その知的なものに対する軽薄さにおいて、その態度はあまり褒められたものではないだろうと理解しつつも、引き続き考え中。
・26日(木)は昼間に出かけて『VOL』という雑誌を購入しようと思い、新宿の主要な本屋に行ってみたものの全然見当たらず。そうこうしているうちに急な気温の変化なのか何なのか寒気でフラフラになったので、とりあえずTOPSの最上階「ユイット」でひと休み(紅茶がぶ飲み/私的民間療法)。するも一向に回復せず、仕方がないので懐かしの(とは言え住んでいたわけではありません)「メディア・カフェ」的なところで約2時間の仮眠。やや復活したならばその後は高田馬場にある某私大での、まさにトーク・セッション「大学の夜」へ行き、『VOL』も割引価格で購入。表紙の「反資本主義/アート」という文字に気を使いながら(仕事帰りの方々ばかりの満員電車でそんなもの読んでいてイラっとさせてしまったならば大変申し訳ないので)それを読みつつ帰宅。
・引き続きその雑誌を、比較的読みやすそうなところから読んでいたならば、読みつつ考えていたことは、それにしても別に「『反』資本主義」でないにしても、そもそも「資本主義」という言葉を、ここまで目にしたり耳にしたりする(そういうものばっかり検索しているということもあるけれど)ここ最近の状況というものは、そこに本来の意味/社会の変化のようなもの、を読み取ることは、それはそれとして、それとはまた違ったレイヤーとして、これこそが「トレンディー」ということである、ということであって、いつだって「トレンディー」なものを「トレンディー」であることを理由にして興味を持つような自分は、その状況をとにかくお勉強するだろうと思う。そしてそのお勉強(お勉教)と平行するかたちで、何かを発想するだろうと思う。