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  映像研究

餃子を詰め込むように食べる師走の一瞬

 
・12月も気がつけば後半。すっかりと師走らしく気持ちだけが年が変わる瞬間に向けて転がり落ちるような日々よ。本日は完全に出遅れながらも昼過ぎに家を出て一瞬業務へ。一瞬「師」としての業務を済ませて(あくまでも肩書きとしてですけれども)、一瞬ジュンク堂へ。最近気になっていた水野和夫という人と萱野稔人という人の『超マクロ展望 世界経済の真実 (集英社新書)』という本を購入。帰りの電車内で読む。一瞬読んで熟睡。つづきは明日以降で。しかし「超・低成長」というワードは確かにそのような状況なのだろうなと思う。「低成長」の中におけるトレンド、あるいは「低成長」というトレンディー、を多くの人が考えている予感。そこに問題意識を感じつつも、別の価値に転換できるようなワードが新しく作れたならば、それはきっと2011年の流行語大賞になるだろう。



・それで本日の夜は高尾のT邸にて「餃子の会」、あるいは山部・忘年会、または山部・部長の誕生日会、そして今年最後の活動報告会でもあった。しばらく会っていない部員(幽霊的な)も含め9名が参加して、この期間登った山の話などを聞きながら、しかしひたすらに餃子の「たね」を作り、皮をこねたり伸ばしたりして、それであれを包み込み、そうして焼いてみたり茹でてみたりする。テンプレートであることは自覚した上で言うならば(実際言ってた)「もうしばらく餃子は食べなくていいな」というくらいに食べる。いつか誰かから教えてもらった「餃子というのは本来『皮』を食べる『完全食』なのです、ですから例えばそれは『おにぎり』のようなものとおなじだと考えてみて下さい」と、そんな風に偉そうにではないけど言われたことがあり、そうか、おにぎりをおかずにご飯を食べないよな、と思ったとか思わないとか。餃子についての見識を深める。



・その他に部会の議題は「大晦日登山」や「ジョン・ミューア・トレイルにいつ行くか(そもそも行くか?)」または「『おもひでPRPR』の上映」などなど。随所に「年齢」と「社会的立場」という概念が登場することから、一瞬「真剣に30代がしゃべりそう」になったけれども、まぁそれはそれだ。そうして「集まること」についてのエキスパートにまた一歩近づきつつある我々から部長へのB・D・Pは「斧(ONO)」である。去年は「鍬(KUWA)」であった。来年は「鋤(SUKI)」であるかもしれない。何かを作るための道具をプレゼントしたならば、それは回り回って自分たちの別の「場」を作るために活かされるのだろう。そういうサイクルがある。そういうありうるサイクルの予感を贈ろう。それが嬉しいかとかは別の問題。役に立つかとかは論外。24時過ぎに解散。「良いお年を」という言葉も聞こえて、ますます膨らむ年末感。新しい年はいつも楽しみで仕方がない。25時に餃子にうなされつつ就寝。