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  映像研究

四月、週末、

 
・中高生のころ、自分は大きくなったら村上春樹(の小説にでてくる主人公)みたいな生活をおくるだろう、と思っていた男子は、個人的なリサーチによると(主に西東京に)とても多い。しかし社会の状況なのか、経済のあれなのかわからないけど、実際この年になると、周りにそんな人は全くいないわけで、とりあえず身近なことだけでも、スパゲッティーをゆでながら本を読んだりしないし、指が9本しかない女性といいかんじになったりとか、そういった経験もない。ちなみにぼくは村上春樹の小説に関してはあまり熱心な読者というわけではないけど、エッセイはなぜかほとんど持っていて、「ぼくはわりにそういうのが好きである。」みたいな口調とか、なんかほのぼのしたかんじは好きです。


・ぼくは選挙が近づくと「村上春樹のエッセイ」のある一節を思い出す。
それは、村上春樹が相当むかしの、多分80年代のエッセイで「自分は選挙には行かない」という話の流れで「『-3』と『-5』のどっちがいいかなんて選べないよ」(具体的な数字とか詳細は相当にうろ覚えですが)というようなことを書いていて、確か高校生とかだったぼくは「そうかぁ、そういう考え方もあるのだな」と、妙に「わかったような」気になったりしたものです。あるいはぼくがそれまで全然そういうことを考えたことがなかったというだけかもしれないけど。いずれにせよ、今この年齢で、この社会の状況でその言葉について考えると、それはそれで、また違った色々なことを考ることができたりもします。


・ちなみに全く関係ないけど、ちょっと前に職場関係の現役高校生に「今の高校生は『村上春樹』とかって読むの?」と聞いたところ、「あー…親が読みます。」と言われて、それはそれは驚いた。
「親」という生き物は「村上春樹」を読まないものだと思っていた、ので。


・というわけで(?)明日は選挙です。