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  映像研究

集まり(新年会3)

・集まる記録。友人家族が久しぶりに東京へ来るタイミングで集まる。集まった感動。たとえば15年前には、大げさでなく毎週集まっていた人たちが、このように再び、別のかたちで、そして同じように、集まれることに、心が動き続けている。人たちと場所と美味しい食べ物や飲み物に感謝して。すべては一度きり、ということを、たとえば15年前には知らなかった。言葉としては知っていて、時に口にすることさえあっても、確かに実感することは無かった。どれだけ遅くまで話しても一晩は瞬間。そして形なく消える。子どもたちは、出会って最初は恥ずかしいすぐに自分の家へ帰りたいと言っていても、馴染んできてともに遊ぶようになると、もっと一緒にいたい家に帰りたくないと言う。あの子どもたちの素直な気持ちと言葉が一つになった状態を、大人も知っている。かつて自分もそうだったということとともに、今もまさにそう思う気持ちが僅かに残っている。全然別の言葉を話しながら表情に一瞬見える。そのことを不思議に思う。そのことのみならず不思議なことは増え続け膨らみ続けている。近況や、考えや、記憶を交わし合いながら、ふと自分は今この社会の、中心に近い場所にいるのだなと思った。望む望まないではなく年齢の必然として果たす役割がある。未だこのような者でしかなく、しかしこのような者でしかないからこそ、この心と身体を正しくはたらかせるべきと理解した。2024年のはじまりに。