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  映像研究

年の瀬(2023)

・これは年の瀬。

 

・業務の昼休みに少し余裕があったから、最寄りの複合施設の中華料理店で同僚とランチする。「学生」や「若者」あるいは「大学」について世間話の延長で意見交換すれば、自分がそのような対象の半分外に存在していることに気づきつつ、そのような諸々の事情を通して、この社会の様子を思うことになる。いつから自分はこの社会のある部分を「維持すること」や端的に「守ること」を考えるようになったか。それをライフステージの移行の必然と考えることには抵抗があり、加齢とともにある保守化と思えば滅入る。しかしそれを直視しながら。同時に別のことも考える。

 

・このようないい加減な者(自分)であっても、何らかの神輿の担ぎ手にならざるを得ない、その事実にはっきりと気づいて、気づくのが遅かったことを理解しつつ、その事実に驚き続けた一年だった。2023年の四字熟語は「人手不足」と思う。人の手が不足している。人の手が不足すれば、神輿は立ち上がらず動かない。同時に、当然のことながら、現に神輿を担いでいる人は、重い。重く痛い。その状況が、あらゆる組織の中で起きているのみならず、この社会自体にも見て取れる。綻びとして現れる。

 

・その綻びを通して、この社会や国の形が少し把握できるように思った2023年だったかもしれない。政治の仕組みや思想の枠組みとは異なる方法でこそ分かることがある。家庭の中で育児や介護に関わる人ならば普通のことなのだろうか。社会の限界を通じて国の機能を考える。

 

・心苦しい出来事は多くあるが、ある日突然給食が届かない、というニュースを見て聞いて、自分がこれまで持っていなかった考えが動きはじめたことも記録しておきたい。この年の記録。

 

・何か別に、直ちに、すべきことがあるのではないかと考えている。その場合、想像するのは、神輿ではなく船だろうか。使い尽くされた比喩としての、沈む船。穴の開いた船で、穴を塞ぐことも、水を掻き出すことも緊急。沈む現象を批評することも、新しい道具を作ることも求められる仕事だが、自分にできることは、このからだを使って水を掻き出すことかもしれない。終わりのなさに立ちすくむ。中断して。