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  映像研究

ここは/時について

・202311011731。ここは中央図書館。自分の作業と業務の準備が途切れて今。書いてみる。

 

・時間を数え、時を区切り、それを流れと見立てれば飲み込まれるように思う。あるいは祭りの山車のように猛烈な勢いで中心が去って取り残されていると感じる。カレンダーを書いたならば、しばしそのような荒々しい現在の時の存在を忘れても良い。

 

・同時に、天高く、いつよりも、漠然としたことを考えている。あるいは何も突き詰めて考えていない。必要に迫られていない、労働とも結びつかず、関心に集約されもしない、もっと根本的な諸々について日々断片的に考えていることに気がついた。それをまずは幸福として思う。人間がひしめきまた人間以外の生命がそれぞれの形で存在していることについて、あるいは現在のこのありようの不思議について驚いたりしている。スピリチュアルな諸々の言説と距離をはかりながらも、人間であるからにはスピリットを無視することもできない。断片的でありながら、領域は形成される。

 

・少し前から、共同体の構成メンバーの「平均年齢」を実体としてイメージしていた。かつてはそれをマラソンの折り返しのコーンのような物体として考えていたが、今の自分はそれを台風の渦のようなものとして想像している。2023年の「日本」ならば「48歳」であり、その年齢は少しずつ上昇しているようだった。渦の中心の移動。台風が海水を吸い上げながら移動する様を想像する。自分がその渦に追いつき引き込まれ空洞に突っ込んでいくのは2027年。その具体的な時を自分の生の決定的な分水嶺として思う。あと4年。それは未来。吸い込まれた未来の先は未知。

 

・中断して。

 

・いつよりも、感覚的なものを対象にして考えている。理にかなった明解な説明を踏み越えて深みを覗きたい。そしていつよりも、歴史に学ぶ必要を考えている。手がかりだけが散乱したままに2023年が閉じそうと思うから、せめてそれを拾い束ねることを試みる。11月だった。